コラム

再び市街戦に? 空転するイラクの政権

2022年09月01日(木)16時30分

だが、サドル潮流がクルドやスンナ派と共闘して多数派形成を図ったのに対して、SLCや、2018年選挙で第二党と躍進したが今回振るわなかったファタハなど、シーア派イスラーム主義政党はそれに乗ろうとしなかった。むしろサドル潮流に対抗して、「調整枠組み(CF)」を形成した。CFは88議席を得てサドル潮流に対抗、その結果、両陣営譲らず、膠着状態に陥ることになったのである。

次期大統領にサドル潮流が推すKDPのホシャイル・ズィバーリ元副首相が最高裁によって汚職容疑がかけられて降ろされたり、一方でサドル潮流の「カーズィミー政権の事実上の続投」案も最高裁に否定されるなど、最高裁をも巻き込んでサドル潮流の動きがことごとく封じられるなか、6月になるとサドル潮流は驚きの戦術に出る。自派議員全員に、議員辞職を指示したのである。

議会内にとどまっても動きが取れないなら、と考えたサドル潮流は、議会外から議会に圧力をかける方法をとった。最高裁に議会の解散、改めての議会選挙実施を求める一方で、支持者を大規模デモや集会に動員し、路上での抵抗運動に訴えたのである。サドル潮流退場のあと、CFは首相候補として、CFの中核組織たるダアワ党の出身で、マーリキー政権期に大臣経験のあるムハンマド・スーダーニーを立てる方向で進めていたが、7月27日、これに反発したサドル潮流支持者たちが議会庁舎に2度にわたり乱入した。さらに8月初めには、議会敷地に座り込みをかけて、強引に議会運営を阻止しようとした。

このような流れのなかに発生したのが、8月29日の衝突である。マーリキー率いるCFと、ムクタダ・サドル率いるサドル潮流の、一歩も引かない両者の10か月にわたる拮抗がいずれ正面衝突を招くだろうとは、十分予想されていた。

イラン政策をめぐる対立

なぜ、サドル潮流とマーリキー率いるCFは、ここまで角突き合わせることになったのか。マーリキーは、首相職にあった2008年、サドル潮流の武装組織「マフディー軍」を相手に、バスラで徹底的な掃討作戦を行った。武装解除を余儀なくされたサドルの、マーリキーへの恨みは根深い。

個人的な対立以上によく指摘されるのは、CFの対イラン依存政策に対するサドル潮流の反発である。CFでは、イランの革命防衛隊と密接な関係を持つバドル組織やそれが率いるPMUが中心的な役割を果たしているし、それ以外のシーア派イスラーム主義政党も多かれ少なかれ、イランとの関係を維持している。一方でムクタダ・サドルは、シーア派なのにサウディアラビアを訪問してムハンマド皇太子に会うなど、対外関係で域内大国間のバランスを取ろうとしている。サドル潮流の「謳い文句」のひとつは、反米、反イランのイラク・ナショナリズムだ。

なによりも、今回の衝突の引き金は、ムクタダ・サドルの師匠筋にあたる在イランのカーズィム・ハーイリー師が、健康を理由に引退を決めたことにある。引退に当たってハーイリーは、支持者に対し、今後はイランの最高指導者、ハーメネーイに寄付金を納めるように、と言い残した。つまり、イラクにいるハーイリー師事の信者たちは、寄付金を自国に還元するのではなくイランに差し出せ、と言われたのである。これが、サドル潮流支持者の反イラン感情を刺激した。師匠から無視されたも同然のムクタダ・サドルは、「政界からの引退」を表明、その結果タガが外れた支持者たちが宮殿急襲の暴挙に出たのである。衝突の過程で、二年半前に米軍に殺害されたイラン革命防衛隊のカーセム・スライマーニの肖像を破り捨てるサドル支持者の姿もみられた。

だが、イランに対する姿勢ばかりがCFとサドル潮流の対立の軸ではない。むしろ根本的に相いれないのは、両者の支持基盤である。CFを構成するダアワ党系の選挙ブロック(マーリキー率いるSLCやアバーディ前首相率いる勝利連合)やISCI(イラク・イスラーム最高評議会)系の選挙ブロック(PMUを中心としたファタハやISCIから分派した知恵連合)の共通点は、いずれも2003年のイラク戦争まで在外に亡命し、当時のフセイン政権が米軍によって倒されてから帰国して戦後政権を担ってきた、ということである。それに対して、サドル潮流は、イラク戦争以前からイラク国内にいて、フセイン政権時代に面従腹背、ひそかに反対運動をしてきたという経歴を持つ。亡命組と国内組という違いとともに、米軍の協力を得て2003年以降の戦後政権を担ってきた政治エリート化した前者と、本当のイラク社会の底辺を代表するのは自分たちだという自負のもとに社会運動を展開してきた後者、という違いが、明々白々だ。

プロフィール

酒井啓子

千葉大学法政経学部教授。専門はイラク政治史、現代中東政治。1959年生まれ。東京大学教養学部教養学科卒。英ダーラム大学(中東イスラーム研究センター)修士。アジア経済研究所、東京外国語大学を経て、現職。著書に『イラクとアメリカ』『イラク戦争と占領』『<中東>の考え方』『中東政治学』『中東から世界が見える』など。最新刊は『移ろう中東、変わる日本 2012-2015』。
コラムアーカイブ(~2016年5月)はこちら

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

イスラエルがガザ軍事作戦を大幅に拡大、広範囲制圧へ

ワールド

中国軍、東シナ海で実弾射撃訓練 台湾周辺の演習エス

ワールド

今年のドイツ成長率予想0.2%に下方修正、回復は緩

ワールド

米民主上院議員が25時間以上演説、過去最長 トラン
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:引きこもるアメリカ
特集:引きこもるアメリカ
2025年4月 8日号(4/ 1発売)

トランプ外交で見捨てられ、ロシアの攻撃リスクにさらされるヨーロッパは日本にとって他人事なのか?

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    自らの醜悪さを晒すだけ...ジブリ風AIイラストに「大はしゃぎ」する人に共通する点とは?
  • 2
    8日の予定が286日間に...「長すぎた宇宙旅行」から2人無事帰還
  • 3
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる唯一の方法
  • 4
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い…
  • 5
    磯遊びでは「注意が必要」...6歳の少年が「思わぬ生…
  • 6
    ロシア空軍基地へのドローン攻撃で、ウクライナが「…
  • 7
    イラン領空近くで飛行を繰り返す米爆撃機...迫り来る…
  • 8
    【クイズ】アメリカの若者が「人生に求めるもの」ラ…
  • 9
    「隠れたブラックホール」を見つける新手法、天文学…
  • 10
    あまりにも似てる...『インディ・ジョーンズ』の舞台…
  • 1
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い国はどこ?
  • 2
    ロシア空軍基地へのドローン攻撃で、ウクライナが「最大の戦果」...巡航ミサイル96発を破壊
  • 3
    800年前のペルーのミイラに刻まれた精緻すぎるタトゥーが解明される...「現代技術では不可能」
  • 4
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる…
  • 5
    自らの醜悪さを晒すだけ...ジブリ風AIイラストに「大…
  • 6
    ガムから有害物質が体内に取り込まれている...研究者…
  • 7
    テスラの没落が止まらない...株価は暴落、業績も行き…
  • 8
    一体なぜ、子供の遺骨に「肉を削がれた痕」が?...中…
  • 9
    「この巨大な線は何の影?」飛行機の窓から撮影され…
  • 10
    現地人は下層労働者、給料も7分の1以下...友好国ニジ…
  • 1
    中国戦闘機が「ほぼ垂直に墜落」する衝撃の瞬間...大爆発する機体の「背後」に映っていたのは?
  • 2
    「テスラ時代」の崩壊...欧州でシェア壊滅、アジアでも販売不振の納得理由
  • 3
    「さようなら、テスラ...」オーナーが次々に「売り飛ばす」理由とは?
  • 4
    「一夜にして死の川に」 ザンビアで、中国所有の鉱山…
  • 5
    テスラ失墜...再販価値暴落、下取り拒否...もはやス…
  • 6
    「今まで食べた中で1番おいしいステーキ...」ドジャ…
  • 7
    市販薬が一部の「がんの転移」を防ぐ可能性【最新研…
  • 8
    テスラ販売急減の衝撃...国別に見た「最も苦戦してい…
  • 9
    テスラの没落が止まらない...株価は暴落、業績も行き…
  • 10
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story