コラム

再び市街戦に? 空転するイラクの政権

2022年09月01日(木)16時30分

首都バグダッドの共和国宮殿に乱入したサドル支持者 Alaa Al-Marjani-REUTERS

<昨年10月の国民議会選挙で第1党となったサドル潮流と、マーリキー元首相率いる親イラン勢力との拮抗が、ついに正面衝突へと発展>

8月29日昼、イラクの反政府勢力サドル潮流の支持者が、首都バグダードの中心にある共和国宮殿に突入した。2003年以降、米軍統治時代に多国籍軍の拠点、その後は巨大な米大使館として使われた、グリーンゾーンと呼ばれる戦後統治の権力中心を象徴するのが、共和国宮殿である。外国の大使館だけではなく、議会や政府諸組織、政界の要人宅など戦後政治のエリートが集中する地域で、そこに反権力、反政府を掲げたサドル潮流の若者たちが押し入った。

その数、数十万人に上る。権力の館に押し入った若者たちは、宮殿にあるプールに飛び込んではしゃぎ、大暴れした。政府は慌てて、外出禁止令を出す。

さらに事態を悪化させたのが、「支持者を守る」としてサドル潮流の民兵組織「サラヤ・サラーム」(平和部隊)が合流したことだ。彼らの、さらなるグリーンゾーンへの侵入を防ぐために、政府治安機関だけでなく、与党民兵勢力である「人民防衛機構」(PMU)が鎮圧に乗り出した。その結果、夜を通して、バグダード市内を装甲車が走り、政府側、反政府側いずれも武装した男たちがあちこちに群がる事態となった。対立する政党の事務所を襲い、破壊し、容赦なく発砲する。反政府側に20人強の死者が出、バグダード市民は、銃声と装甲車の通行音で一睡もできない夜を迎えることになった。

何が起きたのか。なぜこんなことになってしまったのか。

銃撃戦と装甲車が走り回る夜

最近のイラクの治安は、比較的安定していた。2019年秋以降は反政府デモの激化で、月200~300人程度の死者が出ていたが、2020年春以降は月あたりの死者は二桁に下がり、昨年から今年にかけては50人強程度にとどまっていた。この低い数字は、2003年、イラク戦争以来初めてである。

昨年末には、かつて自爆テロが横行した旧市街中心部、本屋街で有名なムタナッビー通りが全面改修され、どこのおしゃれなカフェ街かと目を疑うほどの美観を呈し、人々の賑わいが戻ってきた。マンスールやザイユーナなどの昔ながらの上・中流レベルの住宅街にはショッピングモールが開店し、買い物客で賑わっていた。

それが、一転して銃撃戦と装甲車の走り回る夜である。市民の多くは、かつての内戦が再現されるのかと、戦々恐々たる思いで、眠れぬ一夜を過ごしたようだ。

この急転直下の原因は、10カ月前にある。昨年の10月に実施された選挙で、サドル潮流は第1党となった。にもかかわらず、組閣はおろか、大統領も首相も任命できず、カーズィミー首相が暫定的に首相を続けながらも政界が空転する状況が続いていたのである。

この10か月、何が今の対立を生んだのか、その経緯を見てみよう。

1年前の第五回イラク国民議会選挙で、サドル潮流が第1党になったことは、以前のこのコラムで解説した。その時点では選挙結果は確定していなかったが、サドル潮流が獲得した議席は79議席で、他党(タカッドム[前進]党37議席、SLC[法治国家連合]33議席、KDP[クルディスタン民主党]31議席)に比べてダントツだった。だがそれでも全議席のうち22%でしかなく、政権を担えるかどうかは、他党とどう連立を組むかにかかっていた。大統領を任命するには全議員の3分の2の賛成が必要で、首相はその大統領の任命による。

プロフィール

酒井啓子

千葉大学法政経学部教授。専門はイラク政治史、現代中東政治。1959年生まれ。東京大学教養学部教養学科卒。英ダーラム大学(中東イスラーム研究センター)修士。アジア経済研究所、東京外国語大学を経て、現職。著書に『イラクとアメリカ』『イラク戦争と占領』『<中東>の考え方』『中東政治学』『中東から世界が見える』など。最新刊は『移ろう中東、変わる日本 2012-2015』。
コラムアーカイブ(~2016年5月)はこちら

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