- HOME
- コラム
- プリンストン発 日本/アメリカ 新時代
- 大学の国際化を「スーパー」にするための2つの条件と…
大学の国際化を「スーパー」にするための2つの条件とは?
最初にお断りしておきますが、私は大学教育の改革は待ったなしの課題だと思います。
国際化、能力別指導、機会均等など、現在の教育に欠落している部分を、制度として、また指導法のメソッドとして構築することは急がなくてはなりません。
しかし現在の日本では、こうした問題に関して、論争が深刻な「ねじれ」の状態にあります。つまり国際協調的なリベラルの側は改革に対して抵抗勢力であって、改革に熱心な側は下手をすると日本を孤立に追い込むような保守カルチャーを背景にしているというわけです。これこそ「ねじれ」であって、大変に困った状況だと思います。
私は国際協調主義かつ改革を志向すべきと思うので、かなり孤立した立場になります。ですが、改革がここまで遅れている以上は、とにかく実務的には改革の動きを支持し、その一方で国際協調主義は守るという立場を取りたいと思います。
ですから、以下の提言は「安倍教育改革」なり下村大臣率いる文科省へのイデオロギー的批判ではありません。改革を肯定する立場からの実務的な提言として、受けとめていただければと思います。
今回「スーパーグローバル大学等事業」が発表されました。これには反対はしません。まがりなりにも、全国の主要大学に国際化を促すうえで、明確に予算措置がされたことは一歩前進だからです。ネーミングについても、この際センスがどうこうと言うのは止めておきます。
ですが、とにかく大学の国際化を進めるのであれば、そしてカタカナ日本語として強い修飾語である「スーパー」を名乗るのであれば、どうしても外せない問題が2点あることだけは指摘したいと思います。
一つは、短期留学をさせるのであれば「留学先の単位を取って来させる」ということです。残念ではありますが、現在の文科省の諸事業、そして各大学の留学事業を見ていますと、「単位は取ってこなくていい」とか「取ってきた単位は上限までであれば随意科目として単位認定する」というような甘い運用になっているケースが大部分です。これでは、留学先での学業は真剣勝負になりません。
とにかく基幹の科目、例えば経済原論ならマクロ、ミクロの基礎科目(101や102)、工学なら例えば「バイオ・ケミカル・エンジニアリング(生化学工学)」の101や102など、それぞれの専門分野の核になる部分の単位を留学先で取ってくる、そうでなくては国際経験を生かすことは出来ないと思います。
例えばアメリカの名門大学の場合は、ノーベル賞受賞者などのスター教授がこうした「入門編」を担当し、週3コマのうち1つを担当、残りの2コマは助教などによる少人数の演習や討論などで授業を構成しています。
こうした場で真剣に討論や演習に参加して単位を取ってくること、さらにそうした「最先端」のカリキュラムと、帰国後の日本のカリキュラムの「接続」を考えて行かなくては、交換留学の意味は非常に薄くなると思います。
環境活動家のロバート・ケネディJr.は本当にマックを食べたのか? 2024.11.20
アメリカのZ世代はなぜトランプ支持に流れたのか 2024.11.13
第二次トランプ政権はどこへ向かうのか? 2024.11.07
日本の安倍政権と同様に、トランプを支えるのは生活に余裕がある「保守浮動票」 2024.10.30
米大統領選、最終盤に揺れ動く有権者の心理の行方は? 2024.10.23
大谷翔平効果か......ワールドシリーズのチケットが異常高騰 2024.10.16
米社会の移民「ペット食い」デマ拡散と、分断のメカニズム 2024.10.09