コラム

グーグルのシュミット会長は何のために北朝鮮に行ったのか?

2013年01月11日(金)19時25分

 国務省が「行くな」と言ったのに行ったというのですが、これは一種のカモフラージュだと思います。グーグルのシュミット会長の北朝鮮訪問という「事件」は、オバマ政権の意図を代理したものであると考えるのが自然です。

 このシュミットという人物ですが、1980年代にアップルが「ビジネス能力のある経営者」として外部から招聘したジョン・スカリーの存在と比較されることが多いようです。アップルの場合は、その後スカリーは創業者のスティーブ・ジョブズと対立して、ジョブズを追放してしまいました。ですが、その後にジョブズはアップルを奪い返して、世界一のIT企業に育て上げたわけです。

 グーグルの場合も、セルゲイ・ブリンとラリー・ペイジという若い創業者が、会社の規模が大きくなるにつれて経営のプロが必要となりシュミットを雇った、だが近年はペイジの権力が増大するにつれてシュミットとの溝が生まれ、結果的にペイジがCEOを座を奪ってシュミットは会長に「祭り上げられた」・・・アップルとの比較論の中には、そんなストーリーを描くようなものもあるようです。

 ですが、私はこの2つの例は決定的に異なるし、2011年のCEO交代劇というのも、権力闘争というようなものではないと考えています。

 まず、シュミットという人は、ソフトウェアの技術者としてこの世代(1955年生まれ)としては文句なくトップクラスの存在です。まず、この点がスカリーとは決定的に違います。スカリーは、ペプシという飲料メーカーの名経営者でしたが、ITのバックグラウンドはなかったからです。

 もっと言えば、シュミットの経歴というのは学部はプリンストン、院はUCバークレー(修士、博士)であり、ベル研究所からサンマイクロ、ノベルとキャリアを重ねる中で、90年代というIT産業が爆発的に発展する時代にそのど真ん中にいた人でした。いわば、ITの深い知識とIT企業経営のプロ中のプロとして、若いブリンとペイジは彼に「ゾッコン惚れ込んで」採用したのだと思います。そうして、3人の「トロイカ体制」で2000年代の10年間、グーグルを上場し、更に発展させてきたわけです。

 では、どうしてシュミットは「エクゼクティブ(経営執行)の会長」というポジションに移動して、CEOをペイジに譲ったのでしょうか? 私は、これはシュミットが上場企業であるグーグルの経営責任から少し自由になって、ある種アメリカという国を代表した「IT国家戦略」に関与を深めるためであると考えます。

 その背景には2008年に、オバマ大統領がセンセーショナルな選挙運動の結果、ホワイトハウスに入ることができた際のシュミットの動きがあると思われます。この「オバマ勝利」の背景には、ITを使った選挙運動などのアドバイスや、巨額の政治献金によってシュミットが相当に関与していた可能性があります。また2010年の「グーグル中国問題」で「検閲への協力を拒否してグーグルの現地法人を香港に引き上げる」という大きな動きとなった際にも、シュミットがオバマ政権と歩調を合わせていた可能性があるように思われます。

 恐らく「グーグル中国事件」によって、シュミットは、そしてオバマも「ITというものが政治的、あるいは軍事的にも国際戦略に非常に重要だ」ということを改めて覚悟したのだと思います。特に中国という国を「何とかして大混乱を招かずに開かれた安定的な社会に持って行く」ということが国際社会の利害であるならば、ITというのはその重要なファクターだということです。

 私の勝手な想像ですが、そのためにシュミットがもう少し自由に行動できるようにするために、「執行役員会長」というアメリカでは異例なポジションに横滑りさせたのだと考えることができます。

 そうした流れを考えると、今回の北朝鮮訪問というのはオバマの意向をくんで、ITの力を使って「閉ざされた社会を開いてゆく」というストレートな意図を持った行動だと言えるでしょう。現在の北朝鮮では、インターネットへの接続が限定されているものの、エリート大学ではグーグルやウィキペディアなどは利用されている(但し、厳しい監視がされている)ということをシュミットは訪問を終えた後に北京での会見で述べ「国民にネットを開放すべきだ」と力説しています。

 では、どうして北朝鮮はそうした「文化や情報の開放を要求する」ような「ある意味では危険な」代表団を受け入れたのでしょうか? 英国の「ガーディアン」(電子版)によれば、北の側でも、元日の訓示で「今後はITやハイテクに力を入れよ」というメッセージを金正恩が出してから、シュミット一行を受け入れたというステップを踏んでいるという情報があります。事実であれば、北朝鮮も「何らかの開放の動き」を見せている証拠だという解説も可能かもしれません。

 もしかしたら、シュミットの側でも、グーグル中国の初期がそうであったように、検閲を受け入れることでビジネスの橋頭堡を築く、そんな工作をしながら、ジワジワとの社会を「開いてゆく」深謀遠慮があるのかもしれません。

 この動きそのものは、政治的には大きな動きとは言えません。ですが、仮にシュミット一行がオバマ政権の意向を受けているとするならば、オバマとしては「北朝鮮にダイレクトに刺激を与えてアメリカの影響力を高める」という仕掛けを考えつつある、そんな見方も可能です。

 つまり、ブッシュ時代のように「核開発を抑制するために中国からの圧力に期待した結果、北朝鮮へ中国の影響力を高めてしまう」ような愚は犯さないということです。また、単純に韓国による「吸収合併」へ持って行くのでもないようです。

 もしかしたら「強大な統一韓国の誕生は先送る」という効果も含めて、北朝鮮を「アメリカの影響力を入れつつ、限定的ではあっても開放性の見られる緩衝国家」として「中国の影響力はある程度は認めつつ」閉鎖性や不安定性を下げるような工作を続ける、そんな戦略を持っているのかもしれません。

 何しろ、オバマ外交は「地道な外交努力を重ねてミャンマーを中国から奪う」という離れ業を演じている実績があります。北朝鮮に対しても、何かアイディアがあるのかもしれません。

 アメリカの外交は、国務長官がヒラリー・クリントンからジョン・ケリーに交代することで、「よりオバマが独自色を出してくる」可能性があります。傾向としては「変化球」や「隠密作戦」を絡めて、緊張緩和を模索しつつ、米国の影響力を「軍事コストを下げつつ」巧妙に確保するという方向性になると思われます。北朝鮮政策も含めて、これからの変化に注目したいと思います。

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

トランプ氏、米軍制服組トップ解任 指導部の大規模刷

ワールド

アングル:性的少数者がおびえるドイツ議会選、極右台

ワールド

アングル:高評価なのに「仕事できない」と解雇、米D

ビジネス

米国株式市場=3指数大幅下落、さえない経済指標で売
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:ウクライナが停戦する日
特集:ウクライナが停戦する日
2025年2月25日号(2/18発売)

ゼレンスキーとプーチンがトランプの圧力で妥協? 20万人以上が死んだ戦争が終わる条件は

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    口から入ったマイクロプラスチックの行く先は「脳」だった?...高濃度で含まれる「食べ物」に注意【最新研究】
  • 2
    人気も販売台数も凋落...クールなEVテスラ「オワコン化」の理由
  • 3
    がん細胞が正常に戻る「分子スイッチ」が発見される【最新研究】
  • 4
    1888年の未解決事件、ついに終焉か? 「切り裂きジャ…
  • 5
    飛行中の航空機が空中で発火、大炎上...米テキサスの…
  • 6
    ソ連時代の「勝利の旗」掲げるロシア軍車両を次々爆…
  • 7
    私に「家」をくれたのは、この茶トラ猫でした
  • 8
    動かないのに筋力アップ? 88歳医大名誉教授が語る「…
  • 9
    【クイズ】世界で1番マイクロプラスチックを「食べて…
  • 10
    ビタミンB1で疲労回復!疲れに効く3つの野菜&腸活に…
  • 1
    口から入ったマイクロプラスチックの行く先は「脳」だった?...高濃度で含まれる「食べ物」に注意【最新研究】
  • 2
    がん細胞が正常に戻る「分子スイッチ」が発見される【最新研究】
  • 3
    戦場に「北朝鮮兵はもういない」とロシア国営テレビ...犠牲者急増で、増援部隊が到着予定と発言
  • 4
    人気も販売台数も凋落...クールなEVテスラ「オワコン…
  • 5
    動かないのに筋力アップ? 88歳医大名誉教授が語る「…
  • 6
    朝1杯の「バターコーヒー」が老化を遅らせる...細胞…
  • 7
    7年後に迫る「小惑星の衝突を防げ」、中国が「地球防…
  • 8
    墜落して爆発、巨大な炎と黒煙が立ち上る衝撃シーン.…
  • 9
    ビタミンB1で疲労回復!疲れに効く3つの野菜&腸活に…
  • 10
    「トランプ相互関税」の範囲が広すぎて滅茶苦茶...VA…
  • 1
    週刊文春は「訂正」を出す必要などなかった
  • 2
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる唯一の方法
  • 3
    【一発アウト】税務署が「怪しい!」と思う通帳とは?
  • 4
    口から入ったマイクロプラスチックの行く先は「脳」…
  • 5
    「健康寿命」を延ばすのは「少食」と「皮下脂肪」だ…
  • 6
    1日大さじ1杯でOK!「細胞の老化」や「体重の増加」…
  • 7
    がん細胞が正常に戻る「分子スイッチ」が発見される…
  • 8
    戦場に「北朝鮮兵はもういない」とロシア国営テレビ.…
  • 9
    有害なティーバッグをどう見分けるか?...研究者のア…
  • 10
    世界初の研究:コーヒーは「飲む時間帯」で健康効果…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story