コラム

ブランド広告大戦争に既に負けている日本勢

2010年06月14日(月)12時15分

 ワールドカップが始まりました。既に地元南アの善戦、堂々の試合運びでギリシャを下した韓国、米国にまさかのドローを喫したイングランド、豪州を圧倒したドイツの凄みなど、様々なドラマが生まれています。アメリカでABC・ESPNのネットワークを通じて見ている私ですが、切れ味の乏しい解説はともかく、FIFAの提供する国際映像は、有名選手の表情などを臨機応変にクローズアップする演出がやや大胆なものの、十分に楽しめるものだと思います。

 ところで、今回のワールドカップにおけるスタジアム内の広告は、帯状のスクリーン(恐らくはLED)にプログラムされた広告が順次映写されて行く方式となっていて、そのリズムが時間で区切った機械的なものではなく、例えばコーナーキック時に一気に点灯するようになっていたり、ボールがサイドを割ってスローイングになるタイミングに同期したりしており、高度な演出になっています。そうした注目度の高い映写に対しては、広告費は高価になるのかもしれませんが、それはともかく、このスタジアム内の広告に登場する企業は限られていると思って調べてみたら、どうやらこのスタジアムの広告が出せるのは、FIFAのオフィシャル・スポンサーが中心のようです。

 厳密に言うと、FIFAの公式パートナー6社と、今回のワールドカップの公式スポンサー8社の計14社というのが決まっていて、スタジアムでの広告などもこの14社が中心になっているようです。問題は、この14社の中で日本企業はソニー1社だけということです。そのソニーも、折角FIFAの公式パートナーになっているのですが、少なくとも北米市場ではワールドカップに連動した積極的な広告展開は見せていません。逆に今日現在物凄い広告露出をしているのは、韓国の現代自動車(+起亜)グループです。ワールドカップのスタジアムでの広告だけでなく、ESPNでの試合中継にも広告を出していますし、例えば私の住むニュージャージー州を縦に貫く「ターンパイク」という片側6車線の巨大高速道路ではほぼ10マイルごとぐらいに現代の看板広告が出ています。

 現代には明確な訴求商品があります。それは主力セダンの「ソナタ」の新型です。この「ソナタ」は中身は中型のFFセダンですが、横から見るとベンツの現行C・Eクラスのような弓状にカーブしたライン、前からはトヨタの北米仕様車に似せたハイテクイメージなど、デザインはとても1万9000ドルのクルマとは思えない大胆なものとなっており、その商品コンセプトが、ワールドカップとこれに連動した広告展開で、非常に強い訴求がされているようです。

 公式スポンサーの中で目立つのは、中国のインリ(英利)ソーラーです。ソーラーパネルの巨大企業で、ニューヨークにも上場している英利は、今回のワールドカップのスタジアム広告で一躍全世界での知名度をアップさせています。同じように若い会社としては、過去には粉飾決算などが問題になったこともありますが、インドを代表するアウトソーシング会社のサティヤムなども入っています。

 では、どうして日本企業は思い切ったブランド広告が出せないのでしょうか? 勿論、そうした広告はムダだという考えもあります。特にマーケティングの対象が絞り込まれているビジネスの場合は、何も巨額の宣伝費を投じて正確な効果測定のできないイメージ広告を嫌う企業・業態もあるでしょう。ですが、日本の多くの大企業では、輸出を含めてブランドのイメージで勝負してきた会社は沢山あるはずです。少なくとも、世界の景気は基本的には回復基調にあります。現代自動車のような大規模なギャンブルに打って出ろとは言いませんが、少なくともワールドカップに連動して北米で、あるいは世界で何か仕掛ける気概があっても良いのではと思うのですが、韓国勢や中国勢には押されっぱなしという印象です。

 理由は3つあるように思います。1つは、広告宣伝費やブランド価値への思想が後ろ向きという問題です。日本では、多くの大企業の間で、長い間「広告とは儲かったカネの中から節税のために行う」というマインドが根づいていました。その日本では、これから国際会計基準を導入することになるのですが、この国際会計基準では「ブランドや新製品立ち上げの広告費は積極的な研究開発費と同様に資産計上できる」のです。またそのように広告にカネをかけることで「ブランドという無形固定資産の価値」を維持して行くのが長期的な経営という思想も入っています。

 例えば、現代自動車が新製品立ち上げにどうして巨額のマーケティングコストがかけられるのか? あるいは英利ソーラーというまだまだ研究開発や市場開拓期にある企業が、どうしてNY証券市場に上場出来て、しかも巨額なワールドカップでの広告展開ができるのか、というと、この国際会計基準に秘密があるのです。彼等は「肉食系」であってリスクを取れる文化の人間だから、日本人とは違ってドンドン広告投資ができるのではなく、単に株主の監視の下で、国際会計基準というゲームのルールに則っ
た戦いをしているだけだと思うのです。

 日本の企業経営ではそもそも「広告費は儲かったカネでやるもの」というマインドがあり、その上で国際会計基準についても「本当は欧米に有利なルールで承服できないが、決まった以上は黒船のように受け入れてコストとして消化するしかない」とこれまたネガティブな、と言いますか、誤解に基づいた考えで凝り固まっているように見えます。そうではないのです。研究開発費や広告費も戦略的なものは資産計上して赤字にはしないから可能になるのです。英利やサティヤムにできることが、日本の大手メーカーにできないはずはないのです。

 2つ目は、そうは言っても日本の大手メーカーが資金的に苦しいという問題があるのだと思います。この問題は、グローバル金融市場でカネを引っ張ってこれないリスクテイク意識の欠乏だけでなく、そもそも企業活動に回って景気回復をドライブして、出資者にも還元がされて回っていくべきおカネが「郵貯」や「国債」というメカニズムに氷漬けにされているということも大きいのだと思います。

 3つ目は、そもそも新興国市場でのワールドカップ広告の効果について、日本の多くの企業は「文化現象を皮膚感覚で」理解することができなくなっているという懸念です。ここ数年間、出張を自粛し続け、海外駐在員をドンドン削減してきた結果、日本の企業の多くには世界の市場動向のビビッドな情報が入りにくくなっているのだと思います。そんな中、新興国でどんな消費者が、どんな思いでワールドカップの広告を見ているのか、その価値も分からなくなってきているのかもしれません。

 盛り上がるワールドカップの広告ビジネスにおいて、日本企業の存在感が薄い背景には、そうした複合的な問題があるのではと思います。そうした問題の結果として、国際市場でのブランド広告戦争に参戦できないまま、最先端の技術力を持ちながら完成品メーカーという利幅の大きなポジションに立つことができず、例えばボーイングやアップルとの関係では既にそうなっているように、部品メーカーという下請けの地位に甘んじることがどんどん進むのかもしれません。

 そうであっても、広告という「水もの」に大枚をはたく度胸がない経営者は、リストラで経営体質がスリムになって企業が延命できれば自分の責任は果たせたと思ってしまう、そうしたことの積み重ねで全体が貧しくなっていく、そこに全ての問題があるように思います。成長戦略というのは、そのような制度的な問題、文化的な問題、金融面の問題の全てを総合した上で、経営者のマインドをポジティブに変えていくものである必要があるのです。

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

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