コラム

ペイリン人気のミステリー

2009年11月20日(金)15時38分

 2008年の大統領選挙では、異色の副大統領候補として「お騒がせ」の存在だった前アラスカ州知事のサラ・ペイリン女史ですが、あれから1年経った今週、大統領の留守中に再び政治ニュースのトップを独占しています。大統領選を回顧した「自伝?」の『ゴーイング・ローグ(ならず者として生きる)』が発売されたのですが、この本が様々な波紋を呼んでいるのです。

 まず本の内容ですが、マケイン陣営の中で「一人前として扱われなかった」ことの「恨みつらみ」が書かれているそうです。例えばマケインの選挙参謀から「アンタは黙って原稿通りに発言していれば良いんだ」と罵倒されたとか、人気失速の原因となったCBSのインタビューは陣営の設定ミスのために失敗したとか、昨年の選挙結果について「自分にも言い分がある」という記述が目立つようで、本の発売前からマケイン議員やその周辺には取材が殺到していました。

 また宗教保守派としての発言も書かれており、「アラスカの自然の中で魚を見ていると、人間が魚から進化したなどということは絶対に信じられない」などと進化論否定の文言まで「ちゃんと」入っているようです。ペイリン女史本人についていえば、本の宣伝を兼ねてバーバラ・ウォルタースやオプラ・ウィンフリーなどABCテレビを中心に大物司会者の番組でインタビューに応じています。また大型バスを仕立ててサイン会の全国行脚を行うなど、仕掛けも大がかりになっています。

 ペイリン報道といえば、基本的には「芸能ワイドショー」的なものが主流でした。例えば、昨年の選挙戦の最中に、長女の妊娠と婚約が発表されるという「芸能スキャンダル」のような事件がありました。お相手のリーバイ・ジョンストンという男性とは、長女は婚約破棄に至っているのですが、この「ジョンストン君」とペイリン家の確執はまだ続いていて、最近では雑誌『プレイガール』にジョンストン君はセミヌードを披露、するとペイリン「母さん」はこれを「ポルノグラフィー」だとして猛然と非難するなど、とにかく「芸能情報」的な扱いが多かったのです。ところが、今回の「著書発売」に関しては、各メディアは政治ニュースとしてたいへんな力の入れようなのです。

 実際にペイリン女史の人気はどうなのかというと、どうやら相当なもののようです。17日の火曜日には、ミシガン州のグランド・ラピッド市にあるボーダース書店(業界2位の全国チェーン)でサイン会があったそうなのですが、夕方6時のイベントに対して、午前中から人々が押しかけ、最終的には1500人の列ができたというのです。1500というのは、にわかに信じがたい数字ですが、翌朝のNBCでも「ワシントン・ポスト(電子版)」でもそう報じていましたから、デタラメでもないのでしょう。ちなみに、NBCは大物キャスターのアンドレア・ミッチェル女史(グリーンスパン前FRB議長の奥様です)を送り込むという大きな扱いでした。

 驚いたのは格式のある世論調査会社のラスムーセンが11月の13日と14日に行った世論調査です。ラスムーセンによると、20%の人が「この本を読む予定」だと言っており1冊の本としては相当の浸透度だといって良いでしょう。ペイリン女史に対する支持率(政治家としてではなく漠然とした好感度)は、支持が51%、不支持が43%という数字でした。

 では、この「ペイリン人気」の背景には何があるのでしょう? 基本的には「アンチ・オバマ」という気分の受け皿としては、今のところ彼女しか存在感を見せている人物がいないということがあると思います。「他宗教に寛容なリベラル」に対する「キリスト教保守」、「大きな政府」に対する「小さな政府」、「都市」に対しての「大自然」、「知的なエリート」に対する「庶民性」、「ストイックなダンディズム」に対する「女性的な魅力丸出しのキャラクター」と、サラ・ペイリンというキャラクターは何から何までもがオバマの裏返しだからです。

 そのペイリンの「野心」はどうなのでしょう? 本人は「私のレーダーには入っていません」とトボけていますが、2012年の大統領選に照準を絞っているという説もあります。ただ、大統領となると能力・資質の点でムリという人が多く、共和党の正規の候補にはなれないという声が過半という現実もあります。ということは「落選後に再度の副大統領候補」という憲政史上まれなケース、あるいは宗教保守票に担がれて、共和党の「無冠のキングメーカー」兼「キャンペーンガール」になるというシナリオが考えられます。

 他には、上院議員という選択肢もありますが、お膝元のアラスカは基本的にリベラルの風土ですから「ここまで保守とは思っていなかった」ということで、一旦は知事にしてはいるものの、二度と全州レベルの選挙では勝たせてはくれないでしょう。かといって、本土他州への落下傘というのも難しいと思います。1つのシナリオは、2012年へ向けて共和党が均衡財政を中心とした実務派中道候補を立ててきたときに、宗教保守派が「アイツは真正保守じゃない」と怒ってペイリンを「非共和党の候補」に推して、共和党が分裂選挙になるという可能性です。

 もしかしたら、リベラルの色彩の強い大手のメディアはこの「共和党分裂」を狙ってペイリンを持ち上げているのかもしれません。そう言えば、NBCのミッチェル女史は「ペイリン女史の将来はミステリーですね。ちなみに、書店でのサイン会の会場はミステリー本のコーナーでしたよ」などと軽妙なレポートをしていましたが、そもそもアンドレア・ミッチェル女史のような超インテリがペイリンの「追っかけ取材」を嬉々としてやっているということ自体がミステリーとも言えます。

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

あわせて読みたい
ニュース速報

ビジネス

印財閥アダニ、米起訴受け銀行や当局が投融資調査 資

ビジネス

伊銀行2位ウニクレディト、3位BPMに買収提案 約

ワールド

印マハラシュトラ州議会選、モディ首相の連合が勝利へ

ビジネス

ECB金融政策、制約的状態長く維持すべきでない=レ
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:超解説 トランプ2.0
特集:超解説 トランプ2.0
2024年11月26日号(11/19発売)

電光石火の閣僚人事で世界に先制パンチ。第2次トランプ政権で次に起きること

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「1年後の体力がまったく変わる」日常生活を自然に筋トレに変える7つのヒント
  • 2
    「ダイエット成功」3つの戦略...「食事内容」ではなく「タイミング」である可能性【最新研究】
  • 3
    「このまま全員死ぬんだ...」巨大な部品が外されたまま飛行機が離陸体勢に...窓から女性が撮影した映像にネット震撼
  • 4
    寿命が延びる、3つのシンプルな習慣
  • 5
    寿命が5年延びる「運動量」に研究者が言及...40歳か…
  • 6
    日本人はホームレスをどう見ているのか? ルポに対す…
  • 7
    北朝鮮は、ロシアに派遣した兵士の「生還を望んでい…
  • 8
    クルスク州のロシア軍司令部をウクライナがミサイル…
  • 9
    元幼稚園教諭の女性兵士がロシアの巡航ミサイル「Kh-…
  • 10
    「典型的なママ脳だね」 ズボンを穿き忘れたまま外出…
  • 1
    寿命が延びる、3つのシンプルな習慣
  • 2
    「1年後の体力がまったく変わる」日常生活を自然に筋トレに変える7つのヒント
  • 3
    朝食で老化が早まる可能性...研究者が「超加工食品」に警鐘【最新研究】
  • 4
    「会見拒否」で自滅する松本人志を吉本興業が「切り…
  • 5
    自分は「純粋な韓国人」と信じていた女性が、DNA検査…
  • 6
    日本人はホームレスをどう見ているのか? ルポに対す…
  • 7
    北朝鮮は、ロシアに派遣した兵士の「生還を望んでい…
  • 8
    Netflix「打ち切り病」の闇...効率が命、ファンの熱…
  • 9
    「このまま全員死ぬんだ...」巨大な部品が外されたま…
  • 10
    2人きりの部屋で「あそこに怖い男の子がいる」と訴え…
  • 1
    朝食で老化が早まる可能性...研究者が「超加工食品」に警鐘【最新研究】
  • 2
    北朝鮮兵が「下品なビデオ」を見ている...ロシア軍参加で「ネットの自由」を得た兵士が見ていた動画とは?
  • 3
    寿命が延びる、3つのシンプルな習慣
  • 4
    「1年後の体力がまったく変わる」日常生活を自然に筋…
  • 5
    外来種の巨大ビルマニシキヘビが、シカを捕食...大き…
  • 6
    朝鮮戦争に従軍のアメリカ人が写した「75年前の韓国…
  • 7
    自分は「純粋な韓国人」と信じていた女性が、DNA検査…
  • 8
    北朝鮮兵が味方のロシア兵に発砲して2人死亡!? ウク…
  • 9
    「会見拒否」で自滅する松本人志を吉本興業が「切り…
  • 10
    足跡が見つかることさえ珍しい...「超希少」だが「大…
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story