コラム

彼女の苦悩は全インド人女性のものだ──『グレート・インディアン・キッチン』

2022年01月20日(木)17時08分

キッチンという名の牢獄......『グレート・インディアン・キッチン』

インドのマラヤ--ラム語映画界で活躍するジヨー・ベービ監督の新作『グレート・インディアン・キッチン』は、当初マラヤーラム語作品のみを扱うオンライン配信サービスで封切られ、口コミの力で世界が注目するような旋風を巻き起こした低予算映画だ。

舞台はインド南西端のケーララ州。冒頭で主人公の男女のお見合いと結婚が手短に描かれ、ふたりの新婚生活が始まる。ちなみに本作では、彼らに名前はなく、「妻」と「夫」の物語が展開していく。夫は由緒ある家柄の出で、伝統的な邸宅に両親とともに暮らしている。父親の仕事の関係で中東での生活が長かった妻は、そんな家族の一員となり、温和な姑に導かれて、家事のあれこれを学んでいく。

だが、姑が妊娠中の実の娘の面倒を見るために家を離れると、新妻に炊事、洗濯、掃除をひとりでこなす試練が降りかかる。舅は頑固な伝統主義者で、家電を使うのを好まないため、彼の洗濯物は手洗いし、米は釜で炊くしかない。朝、庭先でくつろぐ舅に、歯ブラシを持ってくるよう指図されるのにはさすがに戸惑う。

夫は、残り物があっても毎食できたての料理を望み、自分はヨガや瞑想で余暇を過ごす。妻が流し台の水漏れを訴えても、夫が何もしようとしないため、汚水の処理まですることになる。夜の営みの最中も、妻は手にこびりついた汚水の悪臭に悩まされているが、夫は自分の欲望を満たすことしか頭にない。妻は生理中の数日間だけは重荷から解放されるが、穢れた存在とみなされることを喜べるはずもない。そんな生活のなかで、妻は忍耐の限界まで追い詰められていく。

女性たちが炊事を通して制度に取り込まれてきた

プレス資料によれば、本作はジヨー監督の個人的な体験がヒントになっている。キリスト教の家庭で育った彼は、2015年にヒンドゥー教徒の女性と恋愛結婚し、家事を等分して担当する取り決めをした。2017年に妻が妊娠すると、台所仕事はすべて彼の受け持ちになった。その数か月間の炊事は、彼を牢に繋がれたような絶望的な気分にさせ、指にこびりついた流しの汚水の臭いに悩まされた。それを妻に話し、親戚や仕事仲間の女性たちとも議論したところ、誰もが家事労働で不満や絶望を感じていたことを知り、映画で表現することを思いついたという。

しかし本作は、家事労働の負担がいかに重いものであるのかをリアルに描き出すだけの作品ではない。本作はジヨー監督にとって4作目の長編になるが、個人的な体験からそのテーマが明確になっていく間に、彼はデビュー作と2作目の長編を発表している。ともに子供を主人公にしたその2作品を振り返っておくと、彼の問題意識がより明確になるはずだ。

デビュー作の『2 Penkuttikal(ふたりの少女)』(16)の主人公は、アチュとアナガという小学6年生の仲のよい少女たち。ふたりは街のモールやビーチに行きたいと思っているが、親には連れていく暇や余裕がない。そこで彼女たちは学校をさぼり、バスで街に遊びに行くが、それが問題となって引き裂かれ、別々の人生を歩むことになる。そんなドラマで印象に残るのは、アチュが学校で、男子はひとりで出歩いたり、道でおしっこができること、女子だけが結婚持参金(ダウリー)を求められることなど、男女の違いを細かく調べたレポートを発表する場面だ。

2作目の『Kunju Daivam(小さな神様)』(18)の主人公は、祈れば何でも叶うと信じ、熱心に教会に通う小学6年生の少年オウセパチャン。大好きな祖父が亡くなったのは、自分が学校の試験を受けたくなくて不謹慎なことを願ったせいだと考えた彼は、それを償うために、腎臓移植を必要としている上級生の少女を救おうとドナー探しに奔走する。少女を元気づけるために彼女の家に通い、教会に姿を見せなくなったオウセパチャンに対し、教区司祭は、子供はよく学び、一生懸命に祈り、親や目上の人を敬うことが大切で、他のことを考える必要はないと説き伏せようとするが、少年は自分が信じる道を歩みだす。

プロフィール

大場正明

評論家。
1957年、神奈川県生まれ。中央大学法学部卒。「CDジャーナル」、「宝島」、「キネマ旬報」などに寄稿。「週刊朝日」の映画星取表を担当中。著書・編著書は『サバービアの憂鬱——アメリカン・ファミリーの光と影』(東京書籍)、『CineLesson15 アメリカ映画主義』(フィルムアート社)、『90年代アメリカ映画100』(芸術新聞社)など。趣味は登山、温泉・霊場巡り、写真。
ホームページ/ブログは、“crisscross”“楽土慢遊”“Into the Wild 2.0”

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