コラム

闇くじに翻弄される人々、ベトナム社会の闇をあぶり出す『走れロム』

2021年07月12日(月)11時00分

ロムが暮らす集合住宅の住人たち、バーおばあさん、カックおじさん、トゥー夫妻は、朝から奇妙な数字探しを始める。祭壇に向かって祈ったり、鳥かごを揺すりながら叫んだり、内側にたくさんの数字を貼った棺にこもってお告げを待ったり、予想屋を信じたり。数字が出ると、家を担保にした借用書と数字をロムやフックのような走り屋に託し、賭け屋の女性ギーさんがそれらを仲介して上前をはね、借用書は賭け屋から金貸し屋にわたり、数字と金が元請けのもとに運ばれる。

デーに関係するこうしたエピソードのなかでも特に印象に残るのが、あらゆる出来事を当たり前のように二桁の数字に結びつけようとする彼らの思考だ。たとえば、カックおじさんの前に現れた予想屋フックは、おじさんの妻と娘が交通事故で亡くなったことを知っていて、身振りまで交えて「2人は車にひかれたんだろ? 死ぬ前にけいれんした。虫が死ぬみたいに」と語り、そこから連想される数字を挙げ、彼に勧める。それは普通なら許されない発言であり、確かにおじさんも気分を害してはいるが、自分でも「2人から合図があるはず」と語りだす。

デーは単なるブームのようなものではなく、生活や思考にまで浸透している。ちなみに、本作のプレスにはフイ監督の以下のようなコメントがある。


「もし誰かにサイゴンやベトナムの特産品は何か?と聞かれたら、私は間違いなく『宝くじで賭け事をすること=デー(So de)』と答えるでしょう。(中略)残念ながら、このゲームに参加した人は誰もが抜けられなくなってしまう。それらは彼らの財産であり、家族であり、彼らの人生でさえあるのです!」

それはもはや、大金が得られるとか、賭け手が迷信深いといったことだけでは説明がつかない。デーの背景になにがあるのか興味を持った筆者は、それを調べてみて、ある程度納得できる情報を見出した。

デーの前身となるくじは、19世紀初頭に清の時代の中国から移民によってもたらされ、広まった。最初は36種類の動物のなかから当たりの動物を予測するルールで、賭け手は夢などを解釈して動物を選び、当時からくじを売ったり、結果を知らせる走り屋が存在していた。その後、賭けの対象は動物から数字に変わり、以前から自殺や破産、家族の弱体化などの元凶として問題視されてきたが、結局、利権に守られ、消え去ることはなかった。

デーと住人の関係を多面的にとらえる

そんな背景を踏まえると、フイ監督のコメントも理解できるし、住人たちが見せる狂気や象徴的な表現も頷ける気がしてくる。

ロムは、フックの予想を信じるバーおばあさんを説得するときに、虎の巻なるものを取り出し、十二支の相剋から数字を導き出そうとするが、そこにはデーと動物の繋がりが垣間見える。結局、バーおばあさんは自ら命を絶ってしまうが、デーで借金を重ねたことを悔いているようには見えない。ロムは、カックおじさんの信頼を得るために、頼み事を引き受け、彼の妻と娘の墓を探しに行き、深い穴に落ちて抜け出せなくなるが、その穴はデーそのものを象徴しているようにも見える。

しかも、ディテールだけでなく、デーがドラマの起点となり、登場人物たちを追い詰めるだけでなく、時に結びつけてもいることを見逃すわけにはいかない。短編でホームレスだったロムが、曲がりなりにも屋根裏に暮らせているのは、デーで数字を的中させ、住人たちの信頼を得たからだった。

そんなロムは、次第に住人たちの信頼を失い、孤立するが、賭け屋のギーさんが救いの手を差し伸べる。彼女には、ロムの親探しを手伝うことで稼ぐ魂胆があるが、それでも母親のような振る舞いを見せる。ロムとフックは、激しい衝突を繰り返すが、相手を憎み切れない。同じように深い穴の底でもがいていることがわかっているからだ。

フイ監督は、デーと住人の関係を多面的にとらえ、心理を掘り下げ、独自の視点から希望を奪う二桁の数字の魔力を描き出している。

参照記事:"Gambling and Globalization in Old Saigon: A Brief History of So De in Vietnam"by Brett Reilly | saigoneer.com (20 April 2017)

プロフィール

大場正明

評論家。
1957年、神奈川県生まれ。中央大学法学部卒。「CDジャーナル」、「宝島」、「キネマ旬報」などに寄稿。「週刊朝日」の映画星取表を担当中。著書・編著書は『サバービアの憂鬱——アメリカン・ファミリーの光と影』(東京書籍)、『CineLesson15 アメリカ映画主義』(フィルムアート社)、『90年代アメリカ映画100』(芸術新聞社)など。趣味は登山、温泉・霊場巡り、写真。
ホームページ/ブログは、“crisscross”“楽土慢遊”“Into the Wild 2.0”

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

相互関税は即時発効、トランプ氏が2日発表後=ホワイ

ワールド

バンス氏、「融和」示すイタリア訪問を計画 2月下旬

ワールド

米・エジプト首脳が電話会談、ガザ問題など協議

ワールド

米、中国軍事演習を批判 台湾海峡の一方的な現状変更
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:引きこもるアメリカ
特集:引きこもるアメリカ
2025年4月 8日号(4/ 1発売)

トランプ外交で見捨てられ、ロシアの攻撃リスクにさらされるヨーロッパは日本にとって他人事なのか?

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    自らの醜悪さを晒すだけ...ジブリ風AIイラストに「大はしゃぎ」する人に共通する点とは?
  • 2
    8日の予定が286日間に...「長すぎた宇宙旅行」から2人無事帰還
  • 3
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる唯一の方法
  • 4
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い…
  • 5
    ロシア空軍基地へのドローン攻撃で、ウクライナが「…
  • 6
    磯遊びでは「注意が必要」...6歳の少年が「思わぬ生…
  • 7
    「隠れたブラックホール」を見つける新手法、天文学…
  • 8
    【クイズ】アメリカの若者が「人生に求めるもの」ラ…
  • 9
    【クイズ】2025年に最も多くのお金を失った「億万長…
  • 10
    トランプが再定義するアメリカの役割...米中ロ「三極…
  • 1
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い国はどこ?
  • 2
    ロシア空軍基地へのドローン攻撃で、ウクライナが「最大の戦果」...巡航ミサイル96発を破壊
  • 3
    800年前のペルーのミイラに刻まれた精緻すぎるタトゥーが解明される...「現代技術では不可能」
  • 4
    ガムから有害物質が体内に取り込まれている...研究者…
  • 5
    テスラの没落が止まらない...株価は暴落、業績も行き…
  • 6
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる…
  • 7
    一体なぜ、子供の遺骨に「肉を削がれた痕」が?...中…
  • 8
    自らの醜悪さを晒すだけ...ジブリ風AIイラストに「大…
  • 9
    「この巨大な線は何の影?」飛行機の窓から撮影され…
  • 10
    現地人は下層労働者、給料も7分の1以下...友好国ニジ…
  • 1
    中国戦闘機が「ほぼ垂直に墜落」する衝撃の瞬間...大爆発する機体の「背後」に映っていたのは?
  • 2
    「テスラ時代」の崩壊...欧州でシェア壊滅、アジアでも販売不振の納得理由
  • 3
    「さようなら、テスラ...」オーナーが次々に「売り飛ばす」理由とは?
  • 4
    「一夜にして死の川に」 ザンビアで、中国所有の鉱山…
  • 5
    テスラ失墜...再販価値暴落、下取り拒否...もはやス…
  • 6
    「今まで食べた中で1番おいしいステーキ...」ドジャ…
  • 7
    市販薬が一部の「がんの転移」を防ぐ可能性【最新研…
  • 8
    テスラ販売急減の衝撃...国別に見た「最も苦戦してい…
  • 9
    テスラの没落が止まらない...株価は暴落、業績も行き…
  • 10
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story