二人の女性の避けられない運命と内なる解放を描く『燃ゆる女の肖像』
「この絵は私に似ていません」
まず導入部の伯爵夫人とのやりとりから、マリアンヌの父親も画家で、かつて伯爵夫人がその父親に自身の肖像画を依頼していたことがわかる。その伯爵夫人は、先述のような事情でただ画家を雇うだけでは埒が明かないので、苦肉の策として候補ではなかった女性のマリアンヌを呼びよせたのだろう。
マリアンヌが苦労して仕上げた最初の肖像画をエロイーズが見て、「この絵は私に似ていません」と語る場面では、双方が何を思っているのかをあれこれ想像することができる。マリアンヌは、誰の目から見ても、彼女が規律、しきたり、観念に支配されていることを念頭に置いてその絵を描いた。確かに、最近その館に来るまで修道院で生活していたエロイーズは、散歩に出るまで全力で走ったことすらなかったのだから、その印象は間違いではない。
では、エロイーズはなぜ否定するのか。彼女は、その自画像を通して、自分が他者にどう見えているのかをはじめて認識し、落胆したと考えることもできる。もうひとつ見逃せないのは、エロイーズが、自分に似ていないと抗議するだけでなく、「あなた自身とも違う」と語ることだ。その発言は、エロイーズのことがそのように見えるマリアンヌこそが、規律、しきたり、観念に支配されていることを示唆する。
そんなやりとりを経て、再び肖像画を描くためにふたりが向き合うことになれば、それぞれの眼差しに熱がこもり、殻が壊れ、秘められた感情が露わになっていくことだろう。
抑圧、避けられない運命や内なる解放を描き出していく
シアマ監督は、マリアンヌとエロイーズ、そして召使いのソフィを中心に据え、男性をほとんど登場させることなく、抑圧、避けられない運命や内なる解放を描き出していく。伯爵夫人が不在の間に、三者は身分の違いを超えて親しくなり、連帯感を深めていく。ソフィが望まぬ妊娠をしていることがわかり、ふたりは彼女の堕胎に協力することで、女性の現実と向き合う。
だがこの後半で、そんな現実以上にドラマに深みをもたらしているのが、ギリシャ神話で詩人オルフェが死んだ妻を取り戻そうとする物語が盛り込まれていることだ。エロイーズが物語を朗読し、三人は、なぜオルフェが約束を破って地上に出る前に振り返って妻を見てしまうのかを語り合う。
その後、マリアンヌは、ふと振り返るとそこに白い衣装をまとったエロイーズの幻影を見るようになる。そしてこの孤島の出来事から何年も経ってから、オルフェを題材にした絵を父親の名前を借りて発表する。
そこには、単にマリアンヌが自分をオルフェに重ね、絵を描いたというだけではない深い意味が込められている。
当時の多くの女性画家にとって、その活動は日々の糧を得る手段であって、彼女たちが手がける作品は、肖像画、静物画、風俗画などあまり重要ではない主題に限定されていた。歴史、宗教、神話などの大きな主題は、大家だけに許されるものだった。
マリアンヌが、最初の肖像画を描いたときのように、規律、しきたり、観念に支配されていれば、自分をオルフェに重ね、しかも絵の題材にすることなど考えもしなかっただろう。シアマ監督は、マリアンヌがエロイーズとの関係を通していかに大きな変貌を遂げたのかを実に鮮やかに描き出している。
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