植民地時代のオーストラリアの復讐劇 性差別、アボリジニ迫害『ナイチンゲール』
彼女たちは、健康ではあっても、労働力としての経済的有用性は無視され、除外者として扱われ、欲望のはけ口とされることも少なくなかった。
「一八一二年、英国下院流刑特別委員会の報告によると、居住者が女囚を要求すると無差別に希望者に支給される慣習があり、彼女たちを家事使用人としてよりも、むしろ『売春の目的で女囚が要求される事もあった』」
「女囚の存在は、男囚よりも、そして恐らく原地住人以外の全てのグループよりも低い地位にあることを提示するために、除外者として処遇されたのであろう」
女囚は、男女のバランスを欠いた社会のなかで一方的に劣悪な環境に置かれ、奉公に行った女性たちは家庭を堕落させる原因とみなされ、女性像全体を低下させることになった。
次にアイルランド人について。19世紀のオーストラリアの人口の3分の1から4分の1がアイルランド人で、貧しかった彼らは社会階級の最下層に追いやられた。イギリス人支配者は、アイルランド人を純粋な西洋人とは認めず、近代以前という意味で彼らを原始的とみなした。シドニーの建設関係者は、アイルランド人を未開と考え、カトリック教徒であることを基準として原住民アボリジニとの差別を区別したに過ぎなかったという。
もともとアイルランド社会では、女性の地位が低かったが、オーストラリアのアイルランド人も集団主義によってその伝統を維持し、彼らの女性観がオーストラリア文化全体に浸透する可能性を強くした。
女囚は、原住民以外では最も低い地位にあった
こうしたことを踏まえると、本作のクレアがどのような立場にあり、ホーキンス中佐が彼女をどう見ていたのかがよくわかる。さらに前掲書にはもうひとつ、見逃せない要素がある。女囚が、原住民以外では最も低い地位にあったとか、アイルランド人が西洋人とはみなされず、カトリック教徒であることで原住民と区別されたという記述だ。
クレアはアボリジニのビリーを雇って中佐を追うが、それぞれに抑圧されている彼らの関係がどのように描かれるのかが興味深くなる。
クレアは当初ひとりで追跡しようとするが、仮釈放中の隣人から案内人を雇うように助言される。ところが、案内人がアボリジニであることを知った彼女は、「黒人はイヤ。私を人食いの手に渡す気?」と言って、拒絶反応を示す。ビリーも「白人は断る。金を払わないからな。白人女はお断りだ」と反発する。
結局、復讐を諦めるわけにいかないクレアと謝礼金が欲しいビリーは、お互いに妥協して旅立つ。そして、彼らの関係の変化が、ある意味で復讐以上に重要な位置を占めていくことになる。
女囚とアボリジニの過酷なサバイバル
そんなふたりのドラマが持つ意味を考えるうえでとても参考になるのが、以前取り上げたピーター・ファレリー監督の『グリーンブック』だ。危険な南部に旅立つ黒人ピアニストのシャーリーと運転手として雇われたトニーの関係とクレアとビリーのそれには共通点がある。
筆者は、歴史学者デイヴィッド・R・ローディガーが書いた『アメリカにおける白人意識の構築----労働者階級の形成と人種』を参考にして、トニーの差別意識がどのように形作られたのかを掘り下げた。19世紀初頭から半ばに急増した白人の賃金労働者は、自分たちが黒人奴隷と同一視されることを恐れるようになり、奴隷制を擁護し、自由黒人に攻撃を加え、黒人の地位を低下させることで、自分たちより下位の他者との間に一線を引いていった。
イタリア系で労働者階級に属するトニーは、そんなふうに形成された差別意識を受け継いでいるが、南部で自身が屈辱されることによって変化し、歴史を乗り越えるようにシャーリーと親交を深めていく。
これに対してケント監督は本作で、歴史をさかのぼって共通する関係を描いているともいえる。1825年のヴァン・ディーメンズ・ランドでは、イギリス人植民者とアボリジニの間でブラック・ウォーとして知られる争いが起こっていた。ビリーは子供の頃に目の前で家族を射殺され、白人を憎んでいる。クレアがアボリジニを嫌悪するのは、悲惨な境遇にある自分が彼らと同一視されることを恐れているからだと考えられる。
そんなふたりは、危険な森を旅するなかで変化していく。ビリーは、クレアがイギリス人ではなくアイルランド人であることを知る。彼らのドラマで印象に残るのは、英語だけではなく、ゲール語と、複数存在したアボリジニ語をもとに再構築されたパラワカニ語が使用されていることだ。彼らはお互いに歌を通して、言葉はわからなくとも、そこに込められた想いを理解していく。
ケント監督は、過酷なサバイバルを余儀なくされるクレアとビリーが、歴史と向き合い、それを乗り越えようとする姿を鮮やかに描き出している。
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