コラム

対照的な黒人と白人の旅が、時を超えて、歴史を拭い去る『グリーンブック』

2019年03月01日(金)15時40分

南部を旅する間にふたりの距離が縮まっていく『グリーンブック』 (C)2018 UNIVERSAL STUDIOS AND STORYTELLER DISTRIBUTION CO., LLC. All Rights Reserved.

<天才黒人ピアニストと無学な白人ドライバーの二人の南部への旅は、空間を旅するだけでなく、時間も旅し、大きな感動をもたらす>

本年度アカデミー賞で作品賞を含む3冠に輝く話題作

実話に基づくピーター・ファレリー監督の『グリーンブック』は、本年度アカデミー賞で作品賞を含む3冠に輝いたばかりなので、概要についてはあまり説明の必要もないだろう。

時代は1962年、ブロンクス育ちのイタリア系で、ニューヨークの高級クラブ、コパカバーナの用心棒を務めるトニー・リップは、腕っぷしとハッタリで家族や隣人から頼りにされていた。ところが、そのコパカバーナが改装のためにしばらく閉店することになり、仕事を求めていたトニーは、カーネギー・ホールの上層階で優雅に暮らす黒人ピアニスト、ドクター・シャーリーに、運転手としてスカウトされる。

ホワイトハウスでも演奏したほどの天才ピアニストは、まだジム・クロウ法が存在し、黒人が差別されている南部へのコンサートツアーを計画していた。ふたりは、南部を旅する黒人が利用できる施設が書かれた案内書"グリーンブック"を頼りに旅立つのだが----。

シャーリーとトニーは見事に対照的だ。クラシックの英才教育を受けたシャーリーは、知的で上品で無口でひとりを好む。下町育ちのトニーは、無学でガサツで、食べまくり、タバコを吸いまくり、なによりも喋りまくる。当然、最初はまったく噛み合わない。

だがやがて、トニーがシャーリーの演奏に魅了され、シャーリーが家族思いのトニーに興味を抱き、少しずつ心を開くようになる。そして、南部で様々な差別に直面し、何度となくトラブルに巻き込まれる彼らは、お互いに理解を深め、強い絆で結ばれていく。

差別意識はどのように形作られたのか

監督のファレリーが次々に繰り出すユーモアも、主人公を演じるモーテンセンとアリの絶妙の掛け合いも素晴らしい。しかし、筆者が特に注目したいのは、トニーの差別意識だ。それは映画の導入部、トニーの自宅の場面で示される。トニーは、黒人の修理工たちが作業を終えて帰ったあとで、妻に気づかれないように彼らが使ったグラスをゴミ箱に捨てる。妻に差別意識はなく、あとでそれに気づいた彼女はグラスをもとに戻す。

この行動に表れた差別意識は、トニー個人のものというわけではない。前後のドラマなどから、彼が属する労働者階級のコミュニティで、世代を越えて大半の男たちに共有されてきたものだと察することができるからだ。

では、その差別意識はどのように形作られたのか。そんなことは、この物語と関係がないように思われるかもしれない。しかし、それが頭に入っていると、本作に盛り込まれたエピソードが持つ意味がより鮮明になるはずだ。

かつて労働者階級の形成と人種は深く結びついていた

実は、筆者が本作を観ながら思い出していたのは、アメリカの歴史学者デイヴィッド・R・ローディガーが書いた『アメリカにおける白人意識の構築----労働者階級の形成と人種』のことだった。本書では、19世紀初頭から半ばに至る労働者階級の形成と人種がいかに深く結びついていたのかが、豊富な資料をもとに掘り下げられている。

02705147_1.png『アメリカにおける白人意識の構築----労働者階級の形成と人種』デイヴィッド・R・ローディガー 小原豊志・竹中興慈・井川眞砂・落合明子訳(明石書店、2006年)

奴隷制が存在し、黒さと従属性が徹底的に絡み合っている社会では、産業化によって急増した賃金労働者が自由を主張する場合に、必ず人種が絡んでくる。奴隷制や黒人の境遇は、労働者にとって、「不自由に対する自らの恐れを計る不快な物差し」と「それと比べれば、自分たちはそれほどひどく貧乏ではないことを気づかせる好都合な物差し」になっていた。

プロフィール

大場正明

評論家。
1957年、神奈川県生まれ。中央大学法学部卒。「CDジャーナル」、「宝島」、「キネマ旬報」などに寄稿。「週刊朝日」の映画星取表を担当中。著書・編著書は『サバービアの憂鬱——アメリカン・ファミリーの光と影』(東京書籍)、『CineLesson15 アメリカ映画主義』(フィルムアート社)、『90年代アメリカ映画100』(芸術新聞社)など。趣味は登山、温泉・霊場巡り、写真。
ホームページ/ブログは、“crisscross”“楽土慢遊”“Into the Wild 2.0”

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

ロシアがICBM発射、ウクライナ空軍が発表 初の実

ワールド

イスラエル軍、ガザ北部の民家空爆 犠牲者多数

ビジネス

米国は以前よりインフレに脆弱=リッチモンド連銀総裁

ビジネス

大手IT企業のデジタル決済サービス監督へ、米当局が
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:超解説 トランプ2.0
特集:超解説 トランプ2.0
2024年11月26日号(11/19発売)

電光石火の閣僚人事で世界に先制パンチ。第2次トランプ政権で次に起きること

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「会見拒否」で自滅する松本人志を吉本興業が「切り捨てる」しかない理由
  • 2
    Netflix「打ち切り病」の闇...効率が命、ファンの熱が抜け落ちたサービスの行く末は?
  • 3
    「ワークライフバランス不要論」で炎上...若手起業家、9時〜23時勤務を当然と語り批判殺到
  • 4
    習近平を側近がカメラから守った瞬間──英スターマー…
  • 5
    北朝鮮兵が「下品なビデオ」を見ている...ロシア軍参…
  • 6
    元幼稚園教諭の女性兵士がロシアの巡航ミサイル「Kh-…
  • 7
    クリミアでロシア黒海艦隊の司令官が「爆殺」、運転…
  • 8
    朝食で老化が早まる可能性...研究者が「超加工食品」…
  • 9
    若者を追い込む少子化社会、日本・韓国で強まる閉塞感
  • 10
    70代は「老いと闘う時期」、80代は「老いを受け入れ…
  • 1
    朝食で老化が早まる可能性...研究者が「超加工食品」に警鐘【最新研究】
  • 2
    北朝鮮兵が「下品なビデオ」を見ている...ロシア軍参加で「ネットの自由」を得た兵士が見ていた動画とは?
  • 3
    朝鮮戦争に従軍のアメリカ人が写した「75年前の韓国」...写真を発見した孫が「衝撃を受けた」理由とは?
  • 4
    自分は「純粋な韓国人」と信じていた女性が、DNA検査…
  • 5
    「会見拒否」で自滅する松本人志を吉本興業が「切り…
  • 6
    ロシア陣地で大胆攻撃、集中砲火にも屈せず...M2ブラ…
  • 7
    アインシュタイン理論にズレ? 宇宙膨張が示す新たな…
  • 8
    建物に突き刺さり大爆発...「ロシア軍の自爆型ドロー…
  • 9
    沖縄ではマーガリンを「バター」と呼び、味噌汁はも…
  • 10
    クルスク州の戦場はロシア兵の「肉挽き機」に...ロシ…
  • 1
    朝食で老化が早まる可能性...研究者が「超加工食品」に警鐘【最新研究】
  • 2
    北朝鮮兵が「下品なビデオ」を見ている...ロシア軍参加で「ネットの自由」を得た兵士が見ていた動画とは?
  • 3
    外来種の巨大ビルマニシキヘビが、シカを捕食...大きな身体を「丸呑み」する衝撃シーンの撮影に成功
  • 4
    朝鮮戦争に従軍のアメリカ人が写した「75年前の韓国…
  • 5
    自分は「純粋な韓国人」と信じていた女性が、DNA検査…
  • 6
    秋の夜長に...「紫金山・アトラス彗星」が8万年ぶり…
  • 7
    北朝鮮兵が味方のロシア兵に発砲して2人死亡!? ウク…
  • 8
    「会見拒否」で自滅する松本人志を吉本興業が「切り…
  • 9
    足跡が見つかることさえ珍しい...「超希少」だが「大…
  • 10
    モスクワで高層ビルより高い「糞水(ふんすい)」噴…
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story