コラム

対照的な黒人と白人の旅が、時を超えて、歴史を拭い去る『グリーンブック』

2019年03月01日(金)15時40分

その物差しの複雑さは、たとえば「白人奴隷制」という言葉に表れている。搾取される労働者は、白人に対する雇用主の不当な抑圧をやめさせるための比喩として、この言葉を使った。ところが、白さ以外のすべてを失うかもしれないという社会的地位の下降に対する恐れが恒常的に存在する社会では、それが比喩として機能せず、北部の労働者たちは、奴隷制を擁護し、自由黒人に攻撃を加え、その地位を低下させることで、自分たちより下位の他者との間に一線を引いていった。

さらにここで、南部人が北部の労働者をどう見ていたのかを確認しておいてもよいだろう。南部人のなかには、白人労働者をも動産とみなすように主張するものさえいた。彼らを白人奴隷とみなすだけでなく、「油まみれの機械工」とか「小間使い」などとみなして蔑んだという。奴隷とみなされることは北部の労働者にとって屈辱であり、それも彼らが黒人との間に距離を置く要因となった。

二人の旅は、時間も旅し、歴史を拭い去るように関係を築いていく

本作はそんなことを踏まえてみると、イタリア系の労働者階級であるトニーの行動や変化がより興味深いものになる。

店が改装に入り、トニーは妻子を養うために仕事を見つけなければならない。そこで面接を受けるべく、ドクター・シャーリーを訪ねる。てっきり医者だと思っていたその相手は、黒人のピアニストだった。それでも仕事がほしい彼は、黒人に偏見はないと嘘をつく。だが、身の回りの世話も仕事に含まれると説明された途端、「俺は召使いじゃない」と拒絶し、交渉は決裂する。

そんなふたりが南部に向かうことの意味も変わってくる。トニーは自分の差別意識がどのように形成されてきたのかなど知るよしもないが、彼はただ雇われて同行するのではなく、差別意識を通して自分にも関わりのある世界に踏み出していくことになる。

シャーリーとトニーはその旅のなかで、何度となくトラブルに見舞われ、二度、警察沙汰になるが、それらが持つ意味は明らかに違う。一度目の原因はシャーリーの事情であり、トニーはそれを丸く収める役割を果たすだけだが、二度目はトニーが原因を作る。南部の警官にイタリア系の彼自身が屈辱され、思わず手が出てしまうのだ。

そんな事件によってふたりの距離が縮まっていく。彼らの関係は、労働者階級の白人意識が確立される以前の時代、差別は存在するものの、「社会の下層では人びとは人種によって明確に区分されていなかった」時代を想起させるところもある。

シャーリーとトニーが空間を旅するだけでなく、時間も旅し、歴史を拭い去るように関係を築いていくと考えてみると、実話に基づくこの物語の感動はより大きなものになるだろう。


『グリーンブック』
公開:3月1日(金)TOHOシネマズ 日比谷ほか全国ロードショー
(C)2018 UNIVERSAL STUDIOS AND STORYTELLER DISTRIBUTION CO., LLC. All Rights Reserved.

プロフィール

大場正明

評論家。
1957年、神奈川県生まれ。中央大学法学部卒。「CDジャーナル」、「宝島」、「キネマ旬報」などに寄稿。「週刊朝日」の映画星取表を担当中。著書・編著書は『サバービアの憂鬱——アメリカン・ファミリーの光と影』(東京書籍)、『CineLesson15 アメリカ映画主義』(フィルムアート社)、『90年代アメリカ映画100』(芸術新聞社)など。趣味は登山、温泉・霊場巡り、写真。
ホームページ/ブログは、“crisscross”“楽土慢遊”“Into the Wild 2.0”

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

EXCLUSIVE-豪中銀、金融政策が制約的か議論

ワールド

トルコ軍用機墜落、兵士20人死亡

ワールド

円安、マイナス面が目立ってきたのは否定しない=片山

ビジネス

ブリヂストン、12月31日基準日に1対2の株式分割
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:世界最高の投手
特集:世界最高の投手
2025年11月18日号(11/11発売)

日本最高の投手がMLB最高の投手に──。全米が驚愕した山本由伸の投球と大谷・佐々木の活躍

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    ギザのピラミッドにあると言われていた「失われた入口」がついに発見!? 中には一体何が?
  • 2
    『プレデター: バッドランド』は良作?駄作?...批評家たちのレビューは「一方に傾いている」
  • 3
    【写真・動画】世界最大のクモの巣
  • 4
    「不気味すぎる...」カップルの写真に映り込んだ「謎…
  • 5
    コロンビアに出現した「謎の球体」はUFOか? 地球外…
  • 6
    ドジャースの「救世主」となったロハスの「渾身の一…
  • 7
    「流石にそっくり」...マイケル・ジャクソンを「実の…
  • 8
    冬ごもりを忘れたクマが来る――「穴持たず」が引き起…
  • 9
    【銘柄】エヌビディアとの提携発表で株価が急騰...か…
  • 10
    【クイズ】韓国でGoogleマップが機能しない「意外な…
  • 1
    【写真・動画】世界最大のクモの巣
  • 2
    「不気味すぎる...」カップルの写真に映り込んだ「謎の存在」がSNSで話題に、その正体とは?
  • 3
    【クイズ】本州で唯一「クマが生息していない県」はどこ?
  • 4
    『プレデター: バッドランド』は良作?駄作?...批評…
  • 5
    「座席に体が収まらない...」飛行機で嘆く「身長216c…
  • 6
    ドジャースの「救世主」となったロハスの「渾身の一…
  • 7
    「遺体は原型をとどめていなかった」 韓国に憧れた2…
  • 8
    筋肉を鍛えるのは「食事法」ではなく「規則」だった.…
  • 9
    「路上でセクハラ」...メキシコ・シェインバウム大統…
  • 10
    クマと遭遇したら何をすべきか――北海道80年の記録が…
  • 1
    【クイズ】本州で唯一「クマが生息していない県」はどこ?
  • 2
    英国で「パブ離れ」が深刻化、閉店ペースが加速...苦肉の策は「日本では当たり前」の方式だった
  • 3
    【クイズ】ヒグマの生息数が「世界で最も多い国」はどこ?
  • 4
    「不気味すぎる...」カップルの写真に映り込んだ「謎…
  • 5
    【写真・動画】世界最大のクモの巣
  • 6
    1000人以上の女性と関係...英アンドルー王子、「称号…
  • 7
    【クイズ】クマ被害が相次ぐが...「熊害」の正しい読…
  • 8
    【クイズ】日本でツキノワグマの出没件数が「最も多…
  • 9
    今年、記録的な数の「中国の飲食店」が進出した国
  • 10
    【クイズ】1位は「蚊」...世界で「2番目に」人間を殺…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story