コラム

「過去の克服」に苦闘するドイツを描く実話

2015年09月18日(金)17時15分

 この映画にも共通するアプローチがある。アウシュヴィッツ裁判という題材を正攻法で映画化するなら、それを主導したバウアーを主人公にし、実際の裁判も再現することだろう。だがこの映画では、バウアーに導かれる若い検事の方を主人公にし、過去と向き合う姿を描き出していく。しかも、彼を単に検事としてではなく人間として深く掘り下げるために、実際には3人いた検事をヨハンという架空の人物に集約し、恋愛の要素なども盛り込んでいる。

 バウアーが若いヨハンに予備捜査を委託するのは、戦後に法学の専門教育を受けた人間だからだが、過去を封印された世界で成長した彼は、アウシュヴィッツについてほとんど何も知らないに等しい。だから最初の証人尋問では元収容者から呆れられ、証言を聞いた後には激しい衝撃を受けている。一方、ヨハンが訪れる米軍の文書センターには60万人分のナチス親衛隊のファイルが存在し、その内アウシュヴィッツで働いていた8000人全員を容疑者と考え、捜査を進めなければならなくなる。実際の捜査活動にほぼ4年が費やされたのも頷ける。

 しかし、重圧になるのは証人や容疑者の数だけではない。ヨハンが裁かなければならないのは、収容所で残虐な犯罪を実行したとは思えない、善良に見える人々だ。そのことと、彼がアウシュヴィッツで「死の天使」と呼ばれて恐れられたヨーゼフ・メンゲレに執着し、悪夢に苛まれ、検事の職務を逸脱して追い回すようになることは無関係ではない。戦後のドイツ人は、ヒトラーという悪魔と、悪魔に利用された人の好いドイツ人の間に一線を引くことで過去を清算しようとした。ヨハンもメンゲレを特別視して一線を引き、絶対的な悪という幻影を追うことで、確実に善悪の境界が曖昧になっていく現実から目を背けようとする。

 さらに、『朗読者』にも描かれた父親との対決が彼に重くのしかかる。彼は、反感を持つ上司から、「君にいわせれば全員がナチになる、君のせいで若い世代が父親に犯罪者かと問い詰める」と責められる。これに対して彼は、「それこそ狙いです」と強気に出るが、やがてその狙いが、彼を追いつめることになる。

 この映画は、裁判というひとつの結果にたどり着くのではなく、答を出すことができない葛藤を浮き彫りにする。それは、ドイツが復興を遂げた頃から広まるようになった「過去の克服」という言葉を想起させる。シュリンクは『過去の責任と現在の法』のなかで、その言葉の意味を以下のように説明している。「英語にもフランス語にもそれに相当するものがない過去の克服という概念がドイツでよく用いられるようになったという事実は、不可能事への希求を表している」


《参照/引用文献》
●『朗読者』ベルンハルト・シュリンク 松永美穂訳(新潮社、2000年)
●『ドイツ 過去の克服』ペーター・ライヒェル 小川保博・芝野由和訳(八朔社、2006年)
●『過去の責任と現在の法』ベルンハルト・シュリンク 岩淵達治ほか訳(岩波書店、2005年)


【映画情報】
『顔のないヒトラーたち』
公開:10月3日、ヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国順次公開
監督:ジュリオ・リッチャレッリ
(C)2014 Claussen+W?bke+Putz Filmproduktion GmbH / naked eye filmproduction GmbH & Co.KG

プロフィール

大場正明

評論家。
1957年、神奈川県生まれ。中央大学法学部卒。「CDジャーナル」、「宝島」、「キネマ旬報」などに寄稿。「週刊朝日」の映画星取表を担当中。著書・編著書は『サバービアの憂鬱——アメリカン・ファミリーの光と影』(東京書籍)、『CineLesson15 アメリカ映画主義』(フィルムアート社)、『90年代アメリカ映画100』(芸術新聞社)など。趣味は登山、温泉・霊場巡り、写真。
ホームページ/ブログは、“crisscross”“楽土慢遊”“Into the Wild 2.0”

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