すべての経済政策が間違っている
中流、という意識を、1億人全員が持った瞬間に争いは激しくなる。なぜなら、中流、という概念を持つということは、社会は所得階層によって社会階層に分かれている、という基本認識にあるということだからだ。
しかも、現在は(いや本当は昔から)、多様性の時代である。経済的な豊かさも人それぞれでなければおかしい。みんなが同じ、という発想自体が、昭和の悪い面を呼び覚まそうとしているのである。
正しいのは、自分が中流だろうが、下流だろうが、いやそういう概念がまったくなく、最低限の人間らしい生活、人生が保障されている社会である。まわりとの比較をして、妬むのではなく、自分はもうちょっと経済的に豊かになりたいな、と思えば、何らかの努力をすれば、ある程度それが報われる社会である。他人の経済水準がどうであろうと関係ない。したがって、正しい政策は、低所得者層、失業層、そのほかの弱者で困っている人々を助けることであり、そのときに、ほかの人々の経済水準がどうなろうと知ったことではない、という政策であり、それを望む人々である。
ただ、本当に汚らわしい言葉として、「上級国民」という他人を攻撃するものがいつの間にか定着したが、現在の日本社会を構成する人々の一定数はこういう考え方なのだろう。だから、このような総中流などというスローガンが公約として成立するのであり、政治家や政党の責任ではなく、有権者の精神的な貧しさを反映したものでしかない。
分配という名のばら撒き合戦
次に、焦点となっている、成長か分配か、という論争も、本来は重要な話であるが、ここでは、まじめに議論するのが馬鹿馬鹿しいほど、議論の余地のない、ただのばら撒き合戦になっている。
そう。分配ではなく、ばら撒きなのだ。誰にどのくらいばら撒くか、それが分配論争である。分厚い中間層などまったく意味がなく、それを低所得者にばら撒くための正当化スローガンにするか、中間層にも大減税をする口実にするかである。1000万円の所得者に減税するとは、要は、ほとんどの有権者に減税する、という意味であり、消費税半減と同様に最悪の政策である。
そして、成長が先だ、パイを拡大するのが先だ、という言葉は、経済の長期的な強化ではなく、単に、金融所得への増税をやめる、というだけのことであり、成長とは無関係で、ただ金持ち増税の取りやめることである。
さらに酷いことに、企業の現金保有に課税するという、もっともナンセンスな政策まで飛び出してきた。これは経済活動が不便になるだけであり、企業は何も無駄に現金を保有しているわけではない。ゼロ金利をやめれば、解消する。そして、現在は、コロナで先行き不透明だったから、保険として現金を積みましていただけであり、健全なリスク対応である。企業の経営を妨害するだけで、経済は萎縮することになる、マイナス成長を目指す政策に他ならない。
なぜ1人10万円で揉めているのか 2021.12.14
大暴落の足音 2021.12.02
いま必要な政策は何もしないこと 2021.11.11
経済政策は一切いらない 2021.11.10
矢野財務次官が日本を救った 2021.11.01
今、本当に必要な経済政策を提案する 2021.10.18
すべての経済政策が間違っている 2021.10.14