コラム

「血脈」を重視する習近平が「台湾・香港」に固執する理由

2022年05月25日(水)17時16分

完成しない「領土回復」

清朝末期、中国は日米欧の列強に植民地化される危機に瀕し、領土を削り取られた。その代表格が、台湾、香港、マカオだ。台湾は日清戦争、香港はアヘン戦争、マカオはポルトガルとの交渉で、中国の主権が奪われた。近代国家建設において、中国の国家像のなかにコンプレックスとともに「領土回復」がインプットされ、誰もが疑わない命題となり、義務となった。

私たちは大国として米国とも堂々と渡り合っているいまの中国しか知らない。香港返還で英国から立派に香港を取り戻したではないか、台湾についても経済規模や軍事力で圧倒しているではないかと考えてしまう。だが中国にとって「領土回復」はまだ完成しておらず、たえず外敵(主に米国と欧州、日本)が中国の発展を本心では望まず、いつも国家の分裂や台頭の阻止のために何らかの工作を画策しているのではないかと疑っている。そのため、外部からの介入に、中国は猜疑心を強め、極めて過敏に反応し、「陰謀論」に傾きがちになってしまう。特にそれがコンプレックスの根源である台湾・香港についてはより強く出てくる傾向がある。

何しろ、台湾・香港は「屈辱の百年」の出発点であり、中国政治の最深部に埋め込まれた「痛み」であるからだ。

中国を理解する「入口」

私たちに求められるのは、なぜ台湾・香港が中国にとって重要なのか、台湾・香港は中国にとって、いかなる意味を持つのか、そうした根源的な問いを持ち続けることである。

日本の中国研究は長年、台湾・香港を過小評価してきた。歴史的文脈や政治的文脈で共産党政権がどのように台湾・香港の問題を考えているのか、近代化以降の中国国家にとって、台湾・香港問題はいかなる意味を持つのか、国家統合への熱望とナショナリズムが結び付いたその特殊性を日本社会にもっと伝えるべきだった。いまだに「あの小さい台湾や香港は、巨大な中国を揺るがすような存在ではない。米中関係、日中関係のなかで、台湾・香港問題は従属的テーマに過ぎない」という考え方は根強い。だが、果たして本当にそうだろうか。

中国問題の「出口」として台湾・香港を捉えようとするから、どうしても現実をうまく捉えきれない。台湾・香港問題は、中国を理解するうえで極めて大切な「入口」であり、「出口」ではない。中国の近代や中国共産党にとって、台湾・香港は国家建設の出発点であり、モチベーションの源であり、聖なる目標であるのだ。だから、国際情勢に鑑みた計算や忖度が入り込む余地は、想像する以上に小さい。そのことを私たちはまず頭に入れておきたい。

nojima-web220524_02.jpg

『新中国論 台湾・香港と習近平体制』(平凡社新書)

プロフィール

野嶋 剛

ジャーナリスト、大東文化大学教授
1968年、福岡県生まれ。上智大学新聞学科卒。朝日新聞に入社し、2001年からシンガポール支局長。その間、アフガン・イラク戦争の従軍取材を経験する。政治部、台北支局長(2007-2010)、国際編集部次長、AERA編集部などを経て、2016年4月に独立。中国、台湾、香港、東南アジアの問題を中心に執筆活動を行っており、著書の多くが中国、台湾でも翻訳出版されている。著書に『イラク戦争従軍記』(朝日新聞社)『ふたつの故宮博物院』(新潮選書)『銀輪の巨人』(東洋経済新報社)『蒋介石を救った帝国軍人 台湾軍事顧問団・白団』(ちくま文庫)『台湾とは何か』『香港とは何か』(ちくま新書)。『なぜ台湾は新型コロナウイルスを防げたのか』(扶桑社新書)など。最新刊は『新中国論 台湾・香港と習近平体制』(平凡社新書)

あわせて読みたい
ニュース速報

ビジネス

アングル:全米で広がる反マスク行動 「#テスラたた

ワールド

トルコ中銀が2.5%利下げ、インフレ鈍化で 先行き

ビジネス

トランプ氏、ビットコイン戦略備蓄へ大統領令に署名

ビジネス

米ウォルマート、中国サプライヤーに値下げ要求 米関
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:進化し続ける天才ピアニスト 角野隼斗
特集:進化し続ける天才ピアニスト 角野隼斗
2025年3月11日号(3/ 4発売)

ジャンルと時空を超えて世界を熱狂させる新時代ピアニストの「軌跡」を追う

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「テスラ時代」の崩壊...欧州でシェア壊滅、アジアでも販売不振の納得理由
  • 2
    「コメが消えた」の大間違い...「買い占め」ではない、コメ不足の本当の原因とは?
  • 3
    113年間、科学者とネコ好きを悩ませた「茶トラ猫の謎」が最新研究で明らかに
  • 4
    著名投資家ウォーレン・バフェット、関税は「戦争行…
  • 5
    一世帯5000ドルの「DOGE還付金」は金持ち優遇? 年…
  • 6
    強まる警戒感、アメリカ経済「急失速」の正しい読み…
  • 7
    イーロン・マスクの急所を突け!最大ダメージを与え…
  • 8
    定住人口ベースでは分からない、東京23区のリアルな…
  • 9
    テスラ大炎上...戻らぬオーナー「悲劇の理由」
  • 10
    34年の下積みの末、アカデミー賞にも...「ハリウッド…
  • 1
    「テスラ時代」の崩壊...欧州でシェア壊滅、アジアでも販売不振の納得理由
  • 2
    テスラ離れが急加速...世界中のオーナーが「見限る」ワケ
  • 3
    イーロン・マスクへの反発から、DOGEで働く匿名の天才技術者たちの身元を暴露する「Doxxing」が始まった
  • 4
    アメリカで牛肉さらに値上がりか...原因はトランプ政…
  • 5
    ニンジンが糖尿病の「予防と治療」に効果ある可能性…
  • 6
    「浅い」主張ばかり...伊藤詩織の映画『Black Box Di…
  • 7
    イーロン・マスクの急所を突け!最大ダメージを与え…
  • 8
    「コメが消えた」の大間違い...「買い占め」ではない…
  • 9
    「絶対に太る!」7つの食事習慣、 なぜダイエットに…
  • 10
    ボブ・ディランは不潔で嫌な奴、シャラメの演技は笑…
  • 1
    テスラ離れが急加速...世界中のオーナーが「見限る」ワケ
  • 2
    【一発アウト】税務署が「怪しい!」と思う通帳とは?
  • 3
    「テスラ時代」の崩壊...欧州でシェア壊滅、アジアでも販売不振の納得理由
  • 4
    口から入ったマイクロプラスチックの行く先は「脳」…
  • 5
    「健康寿命」を延ばすのは「少食」と「皮下脂肪」だ…
  • 6
    がん細胞が正常に戻る「分子スイッチ」が発見される…
  • 7
    戦場に「北朝鮮兵はもういない」とロシア国営テレビ.…
  • 8
    人気も販売台数も凋落...クールなEVテスラ「オワコン…
  • 9
    細胞を若返らせるカギが発見される...日本の研究チー…
  • 10
    イーロン・マスクへの反発から、DOGEで働く匿名の天…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story