コラム

トランプはなぜあれほど強かったのか──経済政策でもたらした最大のインパクトとは

2020年11月24日(火)18時15分

実際のところは、このオバマ政権初期におけるアメリカの財政赤字拡大の多くは、オバマ政権の景気刺激策が原因というよりは、景気悪化によって生じた税収減少によるものであり、その意味で経済低迷の原因ではなく「結果」にすぎなかった。しかし、オバマ政権の景気刺激策に反感を持つ保守的な有権者に対しては、「財政赤字を減らせば経済は回復する」というティーパーティーの政策プロパガンダが大きな政治的効果を持ったのである。

このオバマ政権期の共和党を代表する政治家の一人は、リバタリアニズムの代表的思想家アイン・ランドの信奉者であり、ティーパーティー勢力とも結びつきが強かったポール・ライアンであった。ライアンは、「公的年金を除く社会保障関係支出の大幅な削減による富裕層所得税の徹底した減税」といった、究極のリバタリアン的財政改革を持論とする、きわめて過激な財政保守派として知られていた。

ところが、2016年の大統領選で巻き起こったトランプ旋風とその勝利は、結果としてこの共和党内におけるティーパーティーやリバタリアンの影響力を完全に一掃した。最も象徴的であったのは、ライアンのその後である。当初はトランプへの明確な支持を拒んでいたライアンであったが、政権成立後に動き始めた財政改革ではトランプとの協力に転じた。そして、自らの財政保守主義理念にまったく反するはずの、上述のきわめて赤字財政主義的な2017年トランプ減税の成立に尽力するのである。

ライアンは最終的には、トランプ党化する共和党の状況に嫌気がさしたかのように、2019年1月の任期満了をもって議員を引退することになる。それは、共和党の伝統的理念の担い手が保守派の中からほぼ姿を消したことを意味していた。実際、トランプ政権の4年間に、共和党はすっかりトランプ派の巣窟になってしまったのである。

意図せざる反緊縮主義としてのトランプ主義

このように、共和党の政策アジェンダは、トランプによって大きく塗り替えられた。その変化は、少なくとも経済の領域においては相応の必然性があった。たとえば、共和党がオバマ政権時代のようにティーパーティー派によって牛耳られており、その経済政策も社会保障の削減といったリバタリアン的緊縮に固執し続けていた状況を考えてみよう。その場合、仮に共和党が政権の奪取に成功していたとしても、トランプ政権期に匹敵するような経済的実績を残すことはきわめて難しかったはずである。逆にいえば、財政赤字の拡大をまったく怖れないという意味でのトランプ政権の「無頓着さ」は、低インフレと低金利によって特徴付けられる長期停滞経済においては、きわめて適切な政策方針であったと考えられるのである。

特筆すべきは、保守主義の中でもとりわけ緊縮主義的な傾向の強いリバタリアニズムから、その対極ともいえる反緊縮的なトランプ主義への政策イデオロギーの一大転換が、2010年代後半という時期に、アメリカ保守派の中できわめて劇的な形で生じた点にある。それは、世界大不況からの回復が遅々として進まないことによって、とりわけ中間層や低所得層の経済的苦境が続き、彼らの不満が拡大し続けたからである。民主党と共和党も含むエスタブリッシュメント側の政治家たちにもはや何の期待も持てなくなった彼ら低所得層の鬱積した感情を巧みに掬い上げたのが、既存の政治世界の部外者であったトランプだったわけである。それは、長期停滞という経済状況に対する、アメリカ保守派の側の「意図せざる適応戦略」であったと考えられる。

トランプ政権は確かに、2020年の大統領選敗北によって終わりを告げた。しかし、「財政よりも経済を優先する」というそのマクロ経済政策上のレガシーは、世界経済の長期停滞基調が継続する限り、その影響力を今後も保持し続けるはずである。

プロフィール

野口旭

1958年生まれ。東京大学経済学部卒業。
同大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。専修大学助教授等を経て、1997年から専修大学経済学部教授。専門は国際経済、マクロ経済、経済政策。『エコノミストたちの歪んだ水晶玉』(東洋経済新報社)、『グローバル経済を学ぶ』(ちくま新書)、『経済政策形成の研究』(編著、ナカニシヤ出版)、『世界は危機を克服する―ケインズ主義2.0』(東洋経済新報社)、『アベノミクスが変えた日本経済』 (ちくま新書)、など著書多数。

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

仏極右ルペン氏、トランプ米大統領の強制送還巡る強硬

ビジネス

米12月中古住宅仮契約指数5.5%低下、4カ月連続

ビジネス

ECB当局者、3月追加利下げに異論なしの公算=関係

ワールド

米旅客機衝突墜落事故、死者60人超か 生存者なしの
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:トランプ革命
特集:トランプ革命
2025年2月 4日号(1/28発売)

大統領令で前政権の政策を次々覆すトランプの「常識の革命」で世界はこう変わる

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる唯一の方法
  • 2
    「DeepSeekショック」の株価大暴落が回避された理由
  • 3
    今も続いている中国「一帯一路2.0」に、途上国が失望している理由
  • 4
    東京23区内でも所得格差と学力格差の相関関係は明らか
  • 5
    ピークアウトする中国経済...「借金取り」に転じた「…
  • 6
    空港で「もう一人の自分」が目の前を歩いている? …
  • 7
    DeepSeekショックでNVIDIA転落...GPU市場の行方は? …
  • 8
    トランプのウクライナ戦争終結案、リーク情報が本当…
  • 9
    世界一豊かなはずなのに国民は絶望だらけ、コンゴ民…
  • 10
    トランプ支持者の「優しさ」に触れて...ワシントンで…
  • 1
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる唯一の方法
  • 2
    世界初の研究:コーヒーは「飲む時間帯」で健康効果が異なる【最新研究】
  • 3
    緑茶が「脳の健康」を守る可能性【最新研究】
  • 4
    「DeepSeekショック」の株価大暴落が回避された理由
  • 5
    DeepSeekショックでNVIDIA転落...GPU市場の行方は? …
  • 6
    血まみれで倒れ伏す北朝鮮兵...「9時間に及ぶ激闘」…
  • 7
    有害なティーバッグをどう見分けるか?...研究者のア…
  • 8
    煩雑で高額で遅延だらけのイギリス列車に見切り...鉄…
  • 9
    日鉄「逆転勝利」のチャンスはここにあり――アメリカ…
  • 10
    軍艦島の「炭鉱夫は家賃ゼロで給与は約4倍」 それでも…
  • 1
    ティーバッグから有害物質が放出されている...研究者が警告【最新研究】
  • 2
    有害なティーバッグをどう見分けるか?...研究者のアドバイス【最新研究・続報】
  • 3
    体の筋肉量が落ちにくくなる3つの条件は?...和田秀樹医師に聞く「老けない」最強の食事法
  • 4
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる…
  • 5
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるよ…
  • 6
    「涙止まらん...」トリミングの結果、何の動物か分か…
  • 7
    「戦死証明書」を渡され...ロシアで戦死した北朝鮮兵…
  • 8
    中国でインフルエンザ様の未知のウイルス「HMPV」流…
  • 9
    失礼すぎる!「1人ディズニー」を楽しむ男性に、女性…
  • 10
    戦場に「杖をつく兵士」を送り込むロシア軍...負傷兵…
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story