コラム

MMT(現代貨幣理論)の批判的検討(1)─政府と中央銀行の役割

2019年07月23日(火)19時00分

MMTにとっての「主流派」とは何を指しているのか

MMTと主流派との理論の違いを見極めるという作業において、最初に明確にしておく必要があるのは、この「主流派」とはいったい何なのかという点である。MMT は確かに貨幣数量説に基づくマネタリズムを徹底的に批判する。しかしながら、MMTが批判の対象とする「主流派」は、マネタリズムから合理的期待形成論を経て実物的景気循環論に至る「新しい古典派」のみを指しているわけでは必ずしもない。

その「MMTが敵視する主流派」を最も明確に描写しているのは、Macroeconomicsの第30章である。そこで提起されている「マクロ経済学における支配的主流としての貨幣的合意(the dominant mainstream New Monetary Consensus in macroeconomics)」こそが、その「主流派」の内実である。それは、マネタリズムや新しい古典派そのものではなく、それらの成果を批判的に取り入れて構築された、広義のニュー・ケインジアン経済学である。その代表的な担い手として取り上げられているのは、ポール・クルーグマン、マイケル・ウッドフォード、ベン・バーナンキらである。MMTによれば、彼らニュー・ケインジアンは、ケインズの名を語ってはいるものの、本質的には新古典派経済学の一分派としての亜流ケインジアン(Bastard Keynesians)あるいはその末裔にすぎない(図参照)。

image001a.jpgマクロ経済学系統図 出典:Macroeconomics p.434 Figure 27.1

この「マクロ経済学系統図」が示すように、MMTにおいては、ポール・サミュエルソン、ジョン・リチャード・ヒックス、ジェームズ・トービンといったケインズ経済学における初期の代表的担い手たちは、すべてこの亜流ケインジアンのカテゴリーに括られている。さらに、グレゴリー・マンキュー、アラン・ブラインダー、スティグリッツのようなニュー・ケインジアン、そしてバーナンキに代表される「マクロ経済学における新しい貨幣的合意」といったカテゴリーは、その流れの進化版として位置付けられている。

つまりMMTにおいては、マネタリズムや新しい古典派のような反ケインズ的マクロ経済学と真正面から闘い続けてきた彼ら新旧のケインジアンたちが、不埒にケインズの名を語る新古典派的亜種として一括りで敵側に追いやられているのである。MMTはしばしば、ニュー・ケインジアンも含む「主流派」の側から、その強い党派性を指摘されている。しかし、それは実は、MMT自らが意図的に設定したこの「戦略的対抗軸」の反映なのである。

MMTの中核命題--中央銀行による政府赤字財政支出の自動的ファイナンス

冒頭で述べたように、MMTの出発点であり、かつその不変の中核となっているのは、国債トレーダーであったウオーレン・モズラーによる以下の「発見」である。


政府の赤字財政支出(税収を超えた支出)は、政策金利を一定の目標水準に保つ目的で行われる中央銀行による金融調節を通じて、すべて広い意味でのソブリン通貨(国債も含む)によって自動的にファイナンスされる。したがって、中央銀行が端末の「キーストローク」操作一つで自由に自国のソブリン通貨を供給できるような現代的な中央銀行制度のもとでは、政府支出のために必要な事前の「財源」は、国債であれ租税であれ、本来まったく必要とはされない。

このMMT命題の背後にあるメカニズムを最も簡潔に描写しているのは、Macroeconomics の第20章第4節Coordination of Monetary and Fiscal Operations である。レイのModern Money Theoryでその問題が取り扱われているのは第3章である。モズラーのSoft Currency Economics II は、ほぼ全編がこの問題の解明に当てられているといってよい。しかしながら、レイのModern Money Theoryとモズラーの書籍の説明は必ずしも明快ではないので、以下ではもっぱらMacroeconomics第20章第4節の説明を援用する。

image002.jpg純政府支出に伴うバランスシート 出典:Macroeconomics p.321 Table 20.1

この表は、中央銀行と民間銀行のバランスシートによる資金循環分析を用いて、政府が行う赤字財政支出がどのようなプロセスを経て政府部門と民間非政府部門の間の資産負債の変化を引き起こすのかを明らかにしたものである。それは、以下の3段階からなっている。

■ステージ1:政府が100の赤字財政支出を行うために、同額の政府預金を中央銀行に創出する。
■ステージ2:政府が100の支出を行った結果、支出の支払いを受けた個人や企業が民間銀行に持つ銀行預金が100だけ増加する。その結果、民間銀行が中央銀行に持つ準備預金が100だけ増加する。それは、政府が中央銀行に持つ100の政府預金が、民間銀行が中央銀行に持つ100の準備預金に振り替えられたことを意味する。
■ステージ3:法定預金準備率が仮に10%であるとすると、ステージ2の結果、民間銀行は90の超過準備を持つことになる。そこで民間銀行は、その収益の得られない超過準備を処分して収益の得られる国債を中央銀行から購入する。その結果、中央銀行の保有する国債と民間銀行が中央銀行に保有する準備預金は90だけ減少する。
これらのプロセスから、政府が100の赤字財政支出を行った場合、最終的には、民間部門は10の準備預金と90の国債という形で、必ず同額の資産を得ることになる。

若干の補足をしておこう。まずステージ1では、政府が財政支出の便宜のために国債を見返りに中央銀行に政府預金を創出することが想定されている。これはあるいは、多くの国で禁じられている「国債の中央銀行引き受け」に相当するように見えるかもしれない。しかしながら、中央銀行は同時に、制度的には必ず「政府の銀行」の役割を果たさなければならない。それは結局のところは、「中央銀行が国債(政府の債務)の見返りに政府に預金を与えている」ことを意味する。仮に政府が「財源」の調達のために支出の前にまずは民間銀行に国債を売却したとしても、Modern Money Theoryの第3章に示されている通り、最終的な結果は同じである。

この一連のプロセスで鍵となっているのは、ステージ3である。政府支出の結果として民間の銀行預金および民間銀行の準備預金が増加したとき、民間銀行がそれを国債に振り替えようとするのは分かるとしても、その国債が必ず中央銀行の売りオペによって供給されるのはなぜなのであろうか。

それは、「中央銀行は常に政策金利を一定の目標水準に保つ目的で金融調節を行っているから」である。政府支出の結果として民間銀行が中央銀行に持つ準備預金が拡大し、超過準備が発生すれば、それは必ず政策金利すなわち中央銀行が操作目標としている銀行間の短期市場金利を押し下げるように作用する。中央銀行はその場合、必ず保有する国債を売却して超過準備を吸収しなければならない。というのは、中央銀行がそれをしない限り、政策金利を一定の目標水準に保つことはできないからである。

本来、中央銀行が政策金利を一定に保とうとする限り、金融市場におけるあらゆる資金需給の変化は、中央銀行の金融調節によって必ず相殺される。その局面では確かに、ポスト・ケインジアンの内生的貨幣供給理論がかねてから論じてきたように、中央銀行は「経済の必要に応じて通貨供給を増減させるしかない」きわめて受動的な存在となる。MMTの新奇性は、その観点を政府赤字財政支出の問題に適用した点にある。

実は、「正統派」から見たこの内生的貨幣供給理論あるいはMMTの議論の最大の問題点は、この「中央銀行が政策金利を一定に保つ」という前提それ自体にある。しかし、その課題について検討を加えるのはまだ先のことである。

プロフィール

野口旭

1958年生まれ。東京大学経済学部卒業。
同大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。専修大学助教授等を経て、1997年から専修大学経済学部教授。専門は国際経済、マクロ経済、経済政策。『エコノミストたちの歪んだ水晶玉』(東洋経済新報社)、『グローバル経済を学ぶ』(ちくま新書)、『経済政策形成の研究』(編著、ナカニシヤ出版)、『世界は危機を克服する―ケインズ主義2.0』(東洋経済新報社)、『アベノミクスが変えた日本経済』 (ちくま新書)、など著書多数。

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