MMT(現代貨幣理論)の批判的検討(1)─政府と中央銀行の役割
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<現在、世界および日本の経済論壇において、賛成論と反対論の侃々諤々の議論が展開されているMMT。その内実を検討する......>
消費増税を含めた財政をめぐる論議が続く中で、MMT(現代貨幣理論)に注目が集まっている。7月中旬には、その主唱者の一人であるステファニー・ケルトン(ニューヨーク州立大学教授)が来日し、講演や討論を行い、昨今のMMTブームを反映するかのように大きな盛り上がりを見せた。その模様は一般のマスメディアでも幅広く報じられた。
MMTの生みの親であるウオーレン・モズラーのSoft Currency Economics II序文によれば、その最初の契機は、国債トレーダーを経て証券会社の創業者となったモズラーが、1990年代初頭に当時「財政危機」が喧伝されていたイタリア国債の売買を行った時に得た一つの「発見」にあった。その把握が、それ以前からポスト・ケインジアンの一部に存在していた内生的貨幣供給理論と結びついて構築されたのがMMTである。その「ポスト・ケインジアン出自のMMT論者」を代表する存在が、MMTの定番概説書であるModern Money Theoryの著者であり、MMT派による初のマクロ経済学教科書Macroeconomicsの執筆者の一人でもあるランダル・レイ(ミズーリ大学教授)である。
このように、MMTの枠組みそれ自体は、既に20年以上もの歴史を持っている。しかしながら、それがこれだけの大きな注目を集め始めたのは、学界においてさえごく最近のことにすぎない。
筆者は、2010年3月に上智大学で開催された「第6回 国際ケインズ・コンファランス」(平井俊顕・上智大学教授の主催による)に参加し、報告と討論を行ったが、その時に海外から招かれて報告と討論を行っていた一人がランダル・レイであった(その時の報告者と討論者の一覧は、平井教授のホームページに残されている告知から確認できる)。今にして思い起こせば、レイはその時、小野善康・大阪大学教授の報告に対する討論の中で、確かに雇用保証プログラム(JGP)に類する内容のことを言及していた。とはいえ、当時はおそらく、筆者も含む参加者のほとんどが、MMTそれ自体についてはごく断片的な知識しか持っていなかった(実際そのカンファレンスではMMTは討論の対象どころか話題にさえなっていなかった)。レイに対する参加者の多くの認識も、あくまでも内生的貨幣供給派ポスト・ケインジアンを代表する一人といった程度であった。これがもし現在であれば、その扱いはまったく異なっていたはずである。
松尾匡・立命館大学教授などが指摘するように(「MMT」や「反緊縮論」が世界を動かしている背景)、MMTがこれだけの大きな注目を集めるようになった背景には、政治的左派と右派の両者を含む形で拡大しつつある、世界的な政策潮流としての「反緊縮」が存在する。それは、2010年春に生じたギリシャ危機とその後の欧州ソブリン債務危機を契機とした世界的な緊縮(Austerity)へのアンチテーゼである。その反緊縮という政策的立場の理論的裏付けとしてここにきて急浮上したのが、「インフレが生じるまでは政府財政赤字を積極的に拡大させ続けるべき」と論じるMMTだったわけである。
MMTと「主流派」の違いはどこにあるのか
MMTに対しては現在、世界および日本の経済論壇において、賛成論と反対論それぞれの立場から、まさに侃々諤々の議論が展開されている。アンチもまたファンの一部とすれば、それはまさしく「MMTブーム」と呼ぶにふさわしい状況である。
その論議において最も特徴的なのは、MMTに対する賛否が、あたかもマクロ経済の把握に関する主流派(orthodoxy)と異端派(heterodoxy)を区分けする一つの大きな分水嶺にさえなっているように見える点にある。これは、必ずしも「主流派」側の問題設定によるものではない。それはむしろ、両者を厳正に区別しようとする、MMTの側の明確な戦略的意図の反映である。実際、過去から現在に至る経済学の流れを主流派と異端派へと真二つに分断した上で、前者がいかに誤っており、後者から生み出されたMMTがいかに正しいかを微に入り細に入り論じているのが、上掲Macroeconomicsなのである。
実のところ、MMTの言う「主流派」の中には、財政緊縮派ももちろん存在するが、それと対峙して性急な増税や支出削減の危険性や無用性を訴え続けてきた反緊縮派も数多く存在する。そのような立場の論者としては、ポール・クルーグマン、ジョセフ・スティグリッツ、ラリー・サマーズ、オリビエ・ブランシャールといった名前がすぐに思い浮かぶ。MMT流の区分に従えば、筆者も含む日本のいわゆるリフレ派も、おそらくそのような意味での「主流派」の一分枝ということになるであろう。
注目すべきは、この「反緊縮」という政策論における表面的な一致にもかかわらず、クルーグマンやサマーズに代表される「主流派中の反緊縮派」がほぼ誰一人としてMMTを評価することはなく、逆にMMTの側もまた彼らをまったく評価していないという事実である。確かに一部には、MMTの政策論としての意義を限定付きで認める声もある(例えば浜田宏一・内閣参与のインタビュー「MMTは均衡財政への呪縛を解く解毒剤」)。しかしその立場の論者も、理論としてのMMTには手厳しい批判を行うことが多い。そして、MMT側からすれば、この種の反緊縮派は、彼らにとっての友軍ではまったくなく、明らかに敵なのである。
なぜ両者がこのように相容れないのかを知るためには、何よりもまず、「主流派」とMMTの理論的な違いはどこにあるのかを確認する必要がある。そこでここでは、MMTを代表すると思われるSoft Currency Economics II: MMT - Modern Monetary Theory Book 1(Warren Mosler著、初版は1993年)、Modern Money Theory: A Primer on Macroeconomics for Sovereign Monetary Systems, 2nd Edition (Randall Wray著、2015年)、Macroeconomics(William Mitchell、Randall Wray、Martin Watts著、2019年)という3冊の書物に主に依拠しながら、両者の相違がどこにあり、その相違が何に基づいているのかを、数回に分けて論じることにしたい。
これから明らかにしていくように、MMTと「主流派」の考え方の間には、一見すると異なっているようにみえていながら実は本質的には異なってはいない部分と、逆に表面的には似通っているが実は本質的に相容れないという部分の両者が複雑に混在している。貨幣供給の内生性と外生性をめぐる「対立」は、前者の典型的な実例である。それに対して、いわゆる「ヘリコプター・マネー」論は、後者の実例の一つである。一般のメディアなどではしばしば、MMTは「お金を社会にばらまく」ヘリコプター・マネーの一種であるかのごとく紹介されている。しかし実際には、MMTとミルトン・フリードマンからバーナンキに至る主流派内でのヘリコプター・マネー論とでは、その論理構造がまったく異なる。
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