なぜ私たちは松本清張に励まされるのか?...41歳でデビューした作家が描いた「不公平な時代」を生きる人間のまがまがしい魅力
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<41歳で作家デビューし、46歳で専業作家となった清張。その作品の魅力は鋭く描き切った、人間の内面だけでなかった>
亡くなって30年以上がたつ今も、ファンを魅了し続ける松本清張の作品。松本清張の代表作50編を批評家の酒井信(明治大准教授)が取り上げ、作品のリアリティに迫った『松本清張はよみがえる 国民作家の名作への旅』(西日本新聞社)より「はじめに」を一部抜粋。
松本清張の生き方に励まされる人は多いのではないだろうか。清張が描いた登場人物たちが内に抱える、恨みや妬み、復讐心に共感を覚える人も多いと思う。
平成不況と令和のコロナ禍を通して、所得や資産、教育や情報、居住地や家庭環境の格差が広がってきた。
オンラインの世界では、人々の「怒り」や「怨嗟(えんさ)」、「嫉妬」の感情が吹き荒れ、週刊誌を開き、様々な記事の背後にある「人間臭い動機」に目を向ければ、「清張的な事件」が現代日本でも数多く報じられていることが分かる。
作家の松本清張(1909~92)が亡くなって30年以上の時が流れた。41年ほどの作家生活で長・短編合わせて1000に及ぶ作品を手がけた清張が繰り返し描いたように、私たちは「生まれや育ち」で、その後の人生が左右される「不公平な時代」を生きている。
この本では清張が残した著作から50の代表作を取り上げ、現代の作家の筆致と比べながら、清張作品が持つ「リアリティ」や「まがまがしい魅力」に迫っていく。
松本清張のミステリには「名探偵」は登場しない。新聞記者、ベテラン刑事、被害者の友人や親族など、どこにでもいるような無名の人物たちが「泥臭い捜査を行う探偵役」になる。事件に巻き込まれたごく普通の人々が、「足で稼いだ情報」を手掛かりにして、日常の中に潜む「ミステリ」をひも解いていくのだ。
清張作品の魅力は、多様な女性の内面に迫る筆致にもある。
清張は「婦人公論」などの連載を通して女性読者を多く獲得していたが、一見すると社会に適応しているように見えて、一皮むくと社会から逸脱した欲望を内に抱える女性を描くのが上手い。岩下志麻や松坂慶子、名取裕子や米倉涼子など、清張原作の映像作品は数多くの大女優を育てた。
松本清張は貧しい家庭で生まれ育ち、高等小学校卒の学歴で印刷画工として働き、41歳で作家となった。まぎれもなく彼は「叩き上げの作家」であり「立志伝中の人物」であった。
清張はミステリ小説に限らず、純文学、時代小説、戦後日本の闇を暴くノンフィクション、考古学の知見を踏まえた論考など、ジャンルを超えて数多くの作品を記し、『砂の器』、『点と線』、『ゼロの焦点』など数多くのベストセラーを世に送り出した。
執筆の方法も独特で、他の作家にもまして編集者に「感想」を求め、様々な専門家に電話で「取材」を重ね、一般に出回らない警察や官庁などの資料をかき集め、印刷画工時代から愛用している製図台の上で、小説を記した。晩年には、考古学への愛が高じて「邪馬台国九州説」を背負う存在にもなった。