なぜロシアは「デスノート」や異世界アニメを禁止するか──強権支配が恐れるもの
その意味で、異形の者や異世界を扱うこと自体、プーチン政権にとっては「目に見える世界」の支配者である自分の権威や正当性を損ないかねない危険思想といえる。
「目に見えない世界」に対するプーチン政権の拒絶反応には、シュルレアリスムを忌避したヒトラーと同じ傾向を見出せるだろう。
グロテスクなのは誰か
補足していうと、戦前・戦中の日本でも似たような状況はあった。
大正から昭和初期にかけて耽美的、幻想的、猟奇的なテーマの絵画、小説、演劇が大衆的な人気を博し、エログロナンセンスと呼ばれた。こちらはシュルレアリスムほど精緻な理論があったわけでなく、より通俗的ではあったが、やはり「目に見えない世界」に強く惹かれる点で共通した。
エログロナンセンスは軍国主義の台頭で「退廃的」と批判され、共産主義的なプロレタリア文学(「蟹工船」など)などとともに弾圧されが、その一人には江戸川乱歩がいた(コナンの姓の由来でもある)。
その作家生活の中期から後期にかけて発表された「怪人二十面相」「少年探偵団」など子ども向け作品がよく知られる乱歩だが、初期から中期にかけての成人向け作品の題材には猟奇殺人や性的倒錯が目立った。
とりわけ異彩を放ったのが「芋虫」(1929)だ。戦争で手足を失った傷痍軍人とその妻の閉ざされた生活を描いたこの短編小説は、描写やストーリーにアブノーマルさとグロテスクさが目立ち、後に発禁処分を受けたが、その一方で戦争への批判と純愛を読み取ることもできる。
当時の軍部は戦争やそのための犠牲をことさら美化していた。その軍部による発禁処分に、乱歩が「本当にアブノーマルでグロテスクなのは誰だ」と言いたかったとしても不思議ではない。乱歩の好んだ言葉が「昼は幻、夜の夢こそまこと」だったのは示唆的である。
もちろん、現在の日本でも規制がないわけではなく、あらゆる表現が認められるべきかどうかは別問題だ。
しかし、日本やドイツのかつてきた道を振り返れば、「目に見える世界だけが世界ではない」ことを認められない権力者は、むしろ強迫観念のもと、自分が描いた「現実」にひたすら突っ込むことで、かえって行き詰まりやすいといえる。だとすると、ロシアにおける日本アニメ規制は、プーチン体制のさらなる強権化とともに、その揺らぎをも象徴するのである。
※当記事はYahoo!ニュース 個人からの転載です。
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