コラム

180分あれば... ずっしりと重い映画『怒り』は心理描写が物足りない

2022年12月16日(金)16時10分
『怒り』

ILLUSTRATION BY NATSUCO MOON FOR NEWSWEEK JAPAN

<最近の邦画は質量が物足りない。要するに薄い。その点、吉田修一原作、李相日監督作の『怒り』はメガトンクラスの重さだ。それでも不満なのは──>

サブスク全盛の今、あらためて映画の定義を考える。映画館の暗闇でスクリーンに投射された映像作品という定義は、既に失効しているのだろうか。

実際に僕も、東京近郊ではあるが交通が不便なエリアに暮らしていることもあって、試写案内をもらっても会場に足を運ばず、オンラインかDVDで視聴することが多くなった。

少しばかり後ろめたい。家で独りモニターを見つめながら、自分はいま映画を観ていると言えるのだろうかと考える。ただしモニターのサイズは一昔前に比べれば、スクリーンほどではないにせよ、ずいぶんワイドになっている。視聴するときに部屋を暗くすれば、疑似的な映画空間にはなるかもしれない。

ただしそこに他者はいない。誰かの吐息や含み笑い、そして嗚咽(おえつ)。そうした要素も含めての映画ならば、やはりこれは映画ではない。

でもやっぱり、その見方は偏狭すぎるだろう。全てのものは変化する。テレビやラジオも一昔前に比べれば、使い方や在り方が全く変わっている。映画も同じだ。

『A』を発表した1998年のキネマ旬報の星取り表で、「これは映画なのか」と疑問を提起する批評家が何人かいた。その理由はビデオ撮りだから。でもその後、ビデオ撮りはあっという間に主流となった。今ではよほどのこだわりがなければ、フィルムで撮る人はほぼいない。

定義は大きく変わりながら、1つだけ絶対に変わらないことがある。2時間前後(一部例外はあるけれど)の尺と、それに見合うだけの質量だ。1クール10回程度のテレビドラマと比べれば(良し悪しではなく)、映画は密度が圧倒的に濃い。

素材をぎりぎりに削る。圧縮する。映画監督ならば誰だって、尺を詰めろとの指示に対して黒澤明が言った「切りたければフィルムを縦に切れ」に、強く共感するはずだ。

でも最近の邦画は質量が物足りない。要するに薄いのだ。だから楽に観られる。映画館ではなく自宅のソファで観ることが主流になりつつあることの弊害なのか。

映画館で観るにせよ、ソファに寝転がって観るにせよ、『怒り』の質量はずっしりと重い。メガトンクラスの重さだ。うかつに触れない。手の上にのせたら手のひらに穴が開く。

プロフィール

森達也

映画監督、作家。明治大学特任教授。主な作品にオウム真理教信者のドキュメンタリー映画『A』や『FAKE』『i−新聞記者ドキュメント−』がある。著書も『A3』『死刑』など多数。

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

独クリスマス市襲撃、容疑者に反イスラム言動 難民対

ワールド

シリア暫定政府、国防相に元反体制派司令官を任命 外

ワールド

アングル:肥満症治療薬、他の疾患治療の契機に 米で

ビジネス

日鉄、ホワイトハウスが「不当な影響力」と米当局に書
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:アサド政権崩壊
特集:アサド政権崩壊
2024年12月24日号(12/17発売)

アサドの独裁国家があっけなく瓦解。新体制のシリアを世界は楽観視できるのか

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    インスタント食品が招く「静かな健康危機」...研究が明らかにした現実
  • 2
    おやつをやめずに食生活を改善できる?...和田秀樹医師に聞く「老けない」最強の食事法
  • 3
    【駐日ジョージア大使・特別寄稿】ジョージアでは今、何が起きているのか?...伝えておきたい2つのこと
  • 4
    ロシア西部「弾薬庫」への攻撃で起きたのは、戦争が…
  • 5
    「たったの10分間でもいい」ランニングをムリなく継続…
  • 6
    映画界に「究極のシナモンロール男」現る...お疲れモ…
  • 7
    村上春樹、「ぼく」の自分探しの旅は終着点に到達し…
  • 8
    ロシア軍は戦死した北朝鮮兵の「顔を焼いている」──…
  • 9
    「私が主役!」と、他人を見下すような態度に批判殺…
  • 10
    【クイズ】世界で1番「汚い観光地」はどこ?
  • 1
    インスタント食品が招く「静かな健康危機」...研究が明らかにした現実
  • 2
    ロシア軍は戦死した北朝鮮兵の「顔を焼いている」──ゼレンスキー
  • 3
    村上春樹、「ぼく」の自分探しの旅は終着点に到達した...ここまで来るのに40年以上の歳月を要した
  • 4
    おやつをやめずに食生活を改善できる?...和田秀樹医…
  • 5
    女性クリエイター「1日に100人と寝る」チャレンジが…
  • 6
    コーヒーを飲むと腸内細菌が育つ...なにを飲み食いす…
  • 7
    大腸がんの原因になる食品とは?...がん治療に革命を…
  • 8
    ウクライナ「ATACMS」攻撃を受けたロシア国内の航空…
  • 9
    【クイズ】アメリカにとって最大の貿易相手はどこの…
  • 10
    「どんなゲームよりも熾烈」...ロシアの火炎放射器「…
  • 1
    寿命が延びる、3つのシンプルな習慣
  • 2
    インスタント食品が招く「静かな健康危機」...研究が明らかにした現実
  • 3
    「1年後の体力がまったく変わる」日常生活を自然に筋トレに変える7つのヒント
  • 4
    ロシア兵「そそくさとシリア脱出」...ロシアのプレゼ…
  • 5
    半年で約486万人の旅人「遊女の数は1000人」にも達し…
  • 6
    ロシア軍は戦死した北朝鮮兵の「顔を焼いている」──…
  • 7
    「炭水化物の制限」は健康に問題ないですか?...和田…
  • 8
    ミサイル落下、大爆発の衝撃シーン...ロシアの自走式…
  • 9
    コーヒーを飲むと腸内細菌が育つ...なにを飲み食いす…
  • 10
    2年半の捕虜生活を終えたウクライナ兵を待っていた、…
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story