コラム

『太陽を盗んだ男』は今ならば絶対に撮れない、荒唐無稽なエンタメ映画

2021年01月13日(水)11時50分

ILLUSTRATION BY NATSUCO MOON FOR NEWSWEEK JAPAN

<バスジャックして皇居に突撃する軍服姿の老人、盗んだプルトニウムで原爆を作る中学教師──。長谷川和彦監督の『太陽を盗んだ男』は、リアリティーをほとんど放棄し、エンタメに振り切っている。しかし、荒唐無稽なだけの映画ではない>

大学を卒業した翌年だったと思う。いや待てよ。単位が足りなくて4年生を2回やったから、まだ大学に籍はあったかもしれない。

とにかくその時期、アパートの部屋にあった電話機が鳴った。かけてきたのは、大学で同じ映研に所属していた黒沢清だ。

この時期の黒沢は、長谷川和彦監督(ゴジさん)の新作の制作進行をやっていた。急な話なのだけど、と黒沢は切り出し、明日のロケに役者として参加できないか、と言った。

この時期の僕は、新劇の養成所に研究生として所属していた。つまり役者の卵。卵のまま孵化しなかった。相当にハイレベルな若気の至りだ。

思わず沈黙した僕に、ジュリーに間違われる役なんだ、と黒沢は言った。『青春の殺人者』で大きな話題になったゴジさんの新作で、しかもジュリーに間違われる役。断る選択などあり得ない。

翌日、集合場所である渋谷の東急デパートの屋上で、ゴジさんに挨拶した。緊張してて何を言われたか覚えていない。チーフ助監督の相米慎二が、とても優しかったことを覚えている。テレビで言えばADに当たる黒沢は、汗をかきながらスタッフとキャストの弁当を運んでいた。

それから数カ月後、初号試写に呼ばれた。初めての映画出演。でも僕が映り込んでいるカットは一瞬で終わった。アップも撮られたはずなのに、短い台詞(せりふ)とともにすべてカットされていた。

だからこのとき、映画を冷静に観ることはできなかった。その後に封切りを劇場で観たのだろうか。名画座かもしれない。その内容を一言にすれば荒唐無稽。特にラストの刑事(菅原文太)と主人公の中学教師(沢田研二)との闘いは、多くの人が言うようにリアリティーをほぼ放棄している。徹底したエンタメだ。

でも荒唐無稽なだけの映画ではない。実は周到に推敲された脚本だ。映画の冒頭で、中学教師が乗るバスをジャックして皇居に突撃する旧日本軍の軍服姿の老人が登場する。主人公と刑事の因縁の伏線となるエピソードだが、これに皇居や天皇を絡める必然性は全くない。どう考えても摩擦係数が高すぎるオープニングだ。でもゴジさんはこのエピソードにこだわった。

盗み出したプルトニウムで原爆を作った中学教師は、国家に対峙することを決意するが、テレビのプロ野球中継を試合終了まで見せろとかローリング・ストーンズを日本に呼べなどの要求しか思い付けない。

プロフィール

森達也

映画監督、作家。明治大学特任教授。主な作品にオウム真理教信者のドキュメンタリー映画『A』や『FAKE』『i−新聞記者ドキュメント−』がある。著書も『A3』『死刑』など多数。

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

トランプ氏のグリーンランド購入意欲、「冗談ではない

ビジネス

米司法省、HPEによるジュニパー買収阻止求め提訴

ビジネス

インテルの第4四半期、売上高が予想上回る 株価上昇

ビジネス

米アップル、四半期利益予想上回る iPhone・中
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:トランプ革命
特集:トランプ革命
2025年2月 4日号(1/28発売)

大統領令で前政権の政策を次々覆すトランプの「常識の革命」で世界はこう変わる

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    週刊文春は「訂正」を出す必要などなかった
  • 2
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる唯一の方法
  • 3
    「DeepSeekショック」の株価大暴落が回避された理由
  • 4
    今も続いている中国「一帯一路2.0」に、途上国が失望…
  • 5
    東京23区内でも所得格差と学力格差の相関関係は明らか
  • 6
    ピークアウトする中国経済...「借金取り」に転じた「…
  • 7
    空港で「もう一人の自分」が目の前を歩いている? …
  • 8
    DeepSeekショックでNVIDIA転落...GPU市場の行方は? …
  • 9
    トランプのウクライナ戦争終結案、リーク情報が本当…
  • 10
    血まみれで倒れ伏す北朝鮮兵...「9時間に及ぶ激闘」…
  • 1
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる唯一の方法
  • 2
    週刊文春は「訂正」を出す必要などなかった
  • 3
    世界初の研究:コーヒーは「飲む時間帯」で健康効果が異なる【最新研究】
  • 4
    「DeepSeekショック」の株価大暴落が回避された理由
  • 5
    緑茶が「脳の健康」を守る可能性【最新研究】
  • 6
    DeepSeekショックでNVIDIA転落...GPU市場の行方は? …
  • 7
    血まみれで倒れ伏す北朝鮮兵...「9時間に及ぶ激闘」…
  • 8
    有害なティーバッグをどう見分けるか?...研究者のア…
  • 9
    今も続いている中国「一帯一路2.0」に、途上国が失望…
  • 10
    煩雑で高額で遅延だらけのイギリス列車に見切り...鉄…
  • 1
    ティーバッグから有害物質が放出されている...研究者が警告【最新研究】
  • 2
    有害なティーバッグをどう見分けるか?...研究者のアドバイス【最新研究・続報】
  • 3
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる唯一の方法
  • 4
    体の筋肉量が落ちにくくなる3つの条件は?...和田秀…
  • 5
    週刊文春は「訂正」を出す必要などなかった
  • 6
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるよ…
  • 7
    「涙止まらん...」トリミングの結果、何の動物か分か…
  • 8
    「戦死証明書」を渡され...ロシアで戦死した北朝鮮兵…
  • 9
    中国でインフルエンザ様の未知のウイルス「HMPV」流…
  • 10
    失礼すぎる!「1人ディズニー」を楽しむ男性に、女性…
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story