無様なのにキラキラ輝く『ばかのハコ船』は原石のよう
ILLUSTRATION BY NATSUCO MOON FOR NEWSWEEK JAPAN
<観終わった僕は打ちのめされた。とんでもない映画を観てしまった、と。明確な起承転結はないし山場もない。だけど映画でしかありえない作品だ>
「森さんはいつ帰国しますか?」
ぶらぶら歩いていたバンクーバーの裏通りでばったり会った富岡邦彦プロデューサーからそう質問され「明日です」と僕は答える。
「『ばかハコ』観てくれました?」
「すいません。観ていないです」
「飛行機は何時ですか」
「明日の夕方です」
「それなら10時半からの上映を観てもらえますか。山下も喜びます」
こうして2作目の映画『A2』が招待されたバンクーバー国際映画祭で、僕は『ばかのハコ船』を観た。
ただしここで描写した会話のうち、ほぼ半分は創作。富岡が「ばかハコ」と言ったか「ばか船」と言ったかははっきり覚えていないし、そもそも声をかけてきたのは富岡ではなく、監督の山下敦弘や脚本の向井康介だった可能性もある。でもこの2人はどちらかといえば人見知りする性格で、まだそれほど親しくなかったから、たぶん富岡だったと思う。
人はこうして記憶を作る。思い出したくない過去は抹消して、都合の良い記憶の断片ばかりを集めて編集する。だって、もしもその機能を持たなければつらくて苦い記憶ばかりが堆積し、人はその重さと恥ずかしさでたぶん発狂する。人生とはそれほどに無様(ぶざま)で単調で卑屈で不細工な日常の繰り返しだ。
とにかく僕は、カナダを離れる日の朝早くに『ばかのハコ船』を観た。午前中の早い回ということもあって、客席はまばらだった。後方には、山下や向井たちスタッフが座っていた。
大阪芸術大学の卒業制作として山下が監督した『どんてん生活』はこれ以前に観ているから、ジム・ジャームッシュやアキ・カウリスマキに例えられる山下の脱力した作風は知っていた。でもならば僕は、なぜバンクーバーで『ばかのハコ船』を観ようとしなかったのだろう。おそらくだけど、理由の1つはタイトルに引かれなかったから。そしてもう1つは、日本に帰国してから観るチャンスはいくらでもあると考えたからだと思う。これに限らず海外の映画祭に呼ばれたときは、日本の配給会社が決して買わないような外国映画を優先して観ることにしている。邦画は後回し。街をぶらついたほうが楽しいと思ったのかもしれない。
結論を書けば(そしてこれは間違いなく事実)、観終わった僕はとんでもない映画を観てしまったと打ちのめされた。無様で単調で卑屈で不細工で凄(すご)い。そしてひりひりとリアル。どうやったらこんな演出ができるのか、どうやったらこんなシーンが撮れるのか、とにかく衝撃だった。
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