「悪」と呼ぶこと、呼ばないこと
SPUTNIK PHOTO AGENCY-REUTERS (PUTIN), PASCAL ROSSIGNOL-REUTERS (LE PEN)
<「警鐘としての脱悪魔化」と「戦略としての脱悪魔化」の関係を考えておきたい>
フランス大統領選の1回目の投票が終わり、決選投票には現職マクロン氏と国民連合のルペン氏が残った。5年前と同じ組み合わせだが、接戦が予想され、どうやら今回はマクロン氏の大勝ともいかなそうだ。
強硬な反移民や反EUなどのスタンスから長く極右と形容されてきたルペン氏は、ここ数年、最右派以外の支持拡大を狙って「脱悪魔化」を推進してきたといわれる。
反ユダヤ主義やホロコースト否定で知られる党創設者の父、ジャンマリ・ルペン氏の除名を皮切りに、党名を国民戦線から国民連合に変更し、EUやユーロからの離脱路線を抑制してきた。猫好きなキャラクターなど、親しみやすさのアピールにも余念がない。
その一方で、外国人の両親から生まれた子供への市民権付与の中止、公営住宅入居などでのフランス国民の優先、公共の場でのムスリムによるスカーフの着用禁止など、移民やムスリムに対する極右的な姿勢は今なお不変だとの声も大きい。
さて、日本のSNSで「悪魔化」と検索すると、最近ではルペン氏関連のほかに、「ロシアやプーチン大統領を悪魔化するな」といった趣旨の書き込みが散見される。
ほかにも、琉球新報が掲載した「ロシア『悪魔視』に疑問」というコラムや、映画監督の河瀬直美氏が「『ロシア』という国を悪者にすることは簡単である」と東京大学入学式で語った祝辞も注目を集めた。
なぜ今こうした言葉が語られるのか。
一方だけでなくもう一方の言い分にも耳を傾けたい、どんなプロパガンダにも加担したくない、社会で広く共有されている見方には一定の警戒をしたい──しばしばそんな考えが見て取れる。
言うなれば「警鐘としての脱悪魔化」だ。
悪魔呼ばわりが誰かの「行為」どころか「存在」自体の否定であり、他者理解や交渉の根本的な諦めだとすれば、特定の民族や宗教の排斥はその典型だ。
同様に、プーチン氏自身が反対者を「口に入った虫」と非人間化し、その「浄化」を語ったことも一例かもしれない。他者の悪魔化に対する警戒は確かに必要だ。
だが同時に、そうした警鐘の言葉と、ルペン氏など政治指導者による「戦略としての脱悪魔化」との関係も考えておきたい。
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