- HOME
- コラム
- 現代アーティストな生き方
- 大竹伸朗は、いかに人と違った経験と生き抜く力でアー…
大竹伸朗は、いかに人と違った経験と生き抜く力でアーティストの道を開拓していったか
この「スクラップブック」シリーズは、後に着手することになる「ビル景」シリーズとともに大竹の代表作かつライフワークとなっていくのだが、それと同時に、その後の、香港やベルリン、ニューヨーク、日本各地へと機会あるごとに旅に出て、その土地で出会った人や、道で拾ったゴミやガラクタ、さらにはその場所のノイズや空気から触発されて作品を作るスタイルも確立されていった。
1978年に帰国・復学後は、銅版画やリトグラフ、シルクスクリーンなどの版画作品、印刷物や印画紙、フィルムによる作品を手掛けるとともに、音楽活動を開始。翌年、イラストレーションコンテストで最高賞を受賞したり、初めて盆栽雑誌や文芸誌、音楽誌のカットやポスター挿画の仕事を受ける。
また、卒業後の1980年には再びロンドンに渡り、ラッセル・ミルズらとともにDOMEによるサウンド・パフォーマンスを行うだけでなく、今度はノイズ・バンドを結成し、アルバムも5枚リリース。1978年に開始したノイズ・バンドは2年後に自然消滅してしまうが、この年、最初の印刷本「L.T.D」(東京オペレーションセンター刊)を刊行し、ギャラリーで初の個展も開催している。その後、1986年に出版した初の画集『《倫敦/香港》一九八〇』の豪華版が、同年の造本装幀コンクールで日本書籍出版協会理事長賞(豪華本部門)を受賞し、翌年にはADC最高賞も受賞。また、1985年にはICAロンドンで海外初の個展、1987年には佐賀町エキジビット・スペースで個展「大竹伸朗展 1984-1987」が開催され、大きな脚光を浴びることとなった。
1970年代末から80年代前半は、西武百貨店が牽引するいわゆるセゾンカルチャーが台頭し、物質的な豊かさから精神的な豊かさへ、ものから情報への移行のもと、文化的なヒエラルキーが解体され、多様性と解放、越境へと向かった時代といわれる。アート界では、ポストもの派と呼ばれる活動や、環境を取り込むコンセプチュアルなインスタレーションプロジェクトなどが台頭し、当初は「絵を描くなんて時代遅れ」と馬鹿にされるような雰囲気を感じていたという。
しかし、その後、欧米から表現主義的な絵画の動向であるニューペインティングが紹介されると、一転して「ニューペインティングの寵児」などと呼ばれるようになり、美術業界の相変わらずの欧米礼賛主義や逆輸入文化崇拝による島国根性の嘘っぽさを身に染みて感じるきっかけとなった感じることもあったようだ。
※「大竹は宇和島にいるから面白い」――現代アーティスト、大竹伸朗が探究する「日常」と「アート」の境界線 に続く。
横尾忠則「呪われた」 デザイナーから画家になり、80代で年間100点の作品を生む 2023.04.17
最初の作品集は「遺作集」、横尾忠則の精神世界への扉を開いた三島由紀夫の言葉 2023.04.17
世界26カ国で実施される宮島達男の「柿の木プロジェクト」――絶望から再生へ 2022.12.09
「生き残った以上は、後悔する生き方はしたくない」──宮島達男のアーティスト人生 2022.12.09
大竹伸朗は、いかに人と違った経験と生き抜く力でアーティストの道を開拓していったか 2022.10.31
李禹煥「日本では侵入者、韓国では逃亡者」。マイノリティであることが作品に与えた力 2022.10.24
-
港区 営業アシスタント「海外ネットワークを持つ外資系総合商社」フレックス/残業月10h/年休120日
コーンズ・アンド・カンパニー・リミテッド
- 東京都
- 年収500万円~550万円
- 正社員
-
一般事務/メーカー 残業なし/外資系企業/20-30代活躍中
株式会社スタッフサービス ミラエール
- 東京都
- 月給20万6,000円~
- 正社員
-
貿易事務/流通関連 駅チカ/外資系企業/20-30代活躍中
株式会社スタッフサービス ミラエール
- 東京都
- 月給20万6,000円~
- 正社員
-
経験5年必須/プリセールス/年商250億円企業/リモート可/外資系企業
SAI DIGITAL株式会社
- 東京都
- 年収400万円~750万円
- 正社員