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世界26カ国で実施される宮島達男の「柿の木プロジェクト」――絶望から再生へ
1998年、《Sea of Time '98》制作時の宮島達男(写真:上野則宏)
<1980年代後半に国際的なアートシーンで活躍するようになった宮島達男。アート界の現実に直面した彼は、再びアートの存在意義を見直すなかで、「柿の木プロジェクト」を立上げ、ベネッセアートサイト直島の家プロジェクト「角屋」に取り組む>
※「生き残った以上は、後悔する生き方はしたくない」──宮島達男のアーティスト人生 から続く。
第2エポック 時の蘇生・柿の木プロジェクト(1996~)
このように、憧れていたアート界に希望を失ってしまった宮島を救ったのが、「時の蘇生・柿の木プロジェクト」(以下、柿の木プロジェクト)である。
1995年、国内では阪神・淡路大震災や地下鉄サリン事件が起こり、世界ではフランスが地下核実験を強行するなど不穏な空気のなか、宮島は樹木医の海老沼正幸が率いる、長崎で被爆した柿の木2世の苗木を植樹する活動と出合う。被爆した柿の木から採取した種を苗木に育て、子供達と植樹していくという本プロジェクトを通して、宮島はアーティスティックな感性、創造力は誰もが持っているもので、それに気付くか気付かないか、発揮するかしないかはその人次第であり、アーティストの仕事は人々の創造性を刺激したり、社会に大きな問いを突き付けることだと考えるようになる。
こうして、参加型の作品作りを通して、21世紀にかけて掲げるようになる「Art in You(アートはあなたの中にある)」という考え方を発展させる過程で制作されたのが、ベネッセアートサイト直島の「角屋」での《Sea of Time '98》である。
1997年の海外滞在中に依頼を受け、急遽アメリカ経由で直島に下見に行ったのが10月で、翌年3月には完成というスピードで一気に制作されることになった。今では考えられないことだが、お披露目の際のLEDのタイムセッティング(注3)では、当時はなかなか島民に興味を持ってもらえず、スタッフが海苔を持参して各家をまわり、参加者をかき集めたという。しかし、よく解らないながらも参加・協力してくれた125名の島民たちの行動が、その後大きく発展することになる集落におけるアート活動の礎となったのである。
当時の資料を見ると、宮島はここでも柿の木の植樹を提案していたようだ。直島では実現しなかったが、1999年、第48回ヴェネツィア・ビエンナーレ日本館の展示で大々的に展開されることとなる。20世紀の終りに際し、この「戦争の世紀」に対する批判をテーマとして、大量死を想起させる《MEGA DEATH》の壮大なインスタレーションとともに、再生の希望としての柿の木プロジェクトを、作家の創作における主要な核のひとつとして提示したのである。
当時は柿の木プロジェクトの意味を今一つ理解出来ないアート関係者も多かった。しかし宮島は、「柿の木プロジェクトは、その後、活発に議論されるようになるリレーショナル・アート(関係性のアート)やソーシャリー・エンゲイジド・アート(社会関与のアート)等にも繋がっている。アートワールドではあまり評価されていないが、自分の創造活動のなかでは最も重要な契機と言っても過言ではないもので、絵を描いたり、歌ったり、踊ったりという表現活動を子供たちとやることによって、もう一度、アートに希望やエネルギーを感じられるようになった」と語っている。
原爆や戦争を知らない子供たちに、宿命を背負いながら生きていることや、生命力や命の大切さ、人間の生き方について考えてもらう本プロジェクトは、宮島自身にとっても絶望から再生への転機となり、その後世界中で展開され、今では26か国、300か所以上で、ワークショップなどが実施されている。
注3: 1から9までの数字を順に表示するカウンターのスピード(時を刻む速さ)を、島民たちが各々セットした。
第3エポック 大学教育における10年(2006-2016年)
1990年代半ばに大学と繋がりを持つようになった宮島は、2006年に東北芸術工科大学副学長に就任し、さらに2012年からは京都造形芸術大学(現・京都芸術大学)副学長も兼任。2016年に両校を退職するまで、10年間にわたり、大学で教鞭をとることとなった。
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