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日本の公園が危険な理由 子どもを犯罪から守るには緑を控え目に、そして「フェンス」を
日本では公園設計にも精神論が影響?(写真はイメージです) Cuckoo-iStock
<「入りにくく見えやすい場所」が犯罪を遠ざけることが分かっているが、どんな公園なら安全と言えるのか。日本の防犯上の課題を整理し、海外の事例に学ぶ>
子どもが大好きな場所と言えば、真っ先に思いつくのが公園。しかし、子どもが集まるということは、犯罪者からすれば、犯行の機会(チャンス)があるということだ。魚がたくさんいる場所で釣りをするように、子どもを狙った犯罪者は、子どもがたくさんいそうな場所で「狩り」をする。
こうした視点を「犯罪機会論」と言う。
犯罪は、犯行の動機があるだけでは起こらず、動機を抱えた人が犯罪の機会に出合ったときに初めて起こる。それはまるで、体にたまった静電気(動機)が金属(機会)に近づくと、火花放電(犯罪)が起こるようなものだ。
しかし、日本では、「機会がある場所」ではなく、「動機がある人」に注目している。その結果、対策は「動機がある人」に抵抗する「マンツーマン・ディフェンス」(自助)になる。例えば、「防犯ブザーを鳴らそう」「大声で助けを呼ぼう」「走って逃げよう」という対策だ。
しかし、これらはすべて襲われた後のことであり、犯罪はすでに始まっている。つまり防犯ではない。危機管理の言葉を使えば「クライシス・マネジメント(危機対応)」であり、「リスク・マネジメント(危険回避)」ではないのだ。
一方、海外では、「人」ではなく、「場所」に注目している。「危ない人」は見ただけでは分からないが、「危ない場所(景色)」は見ただけで分かるからだ。場所に注目すれば、対策は必然的に場所で守る「ゾーン・ディフェンス」(共助・公助)になる。ゾーン・ディフェンスは、リスク・マネジメントの手法である。
犯罪が起きるのは「入りやすく見えにくい場所」
では、「機会なければ犯罪なし」という視点から、公園を安全にするには、何をどうすべきなのか。
犯罪機会論の長年にわたる研究の結果として、事件が起きやすい場所は「領域性が低い(入りやすい)場所」と「監視性が低い(見えにくい)場所」であることがすでに分かっている。犯罪者は景色を見て、犯罪が成功するかどうか、つまり、犯行機会の有無を判断するわけだが、その基準が「入りやすいかどうか」「見えにくいかどうか」なのだ。
「入りやすい場所」では、犯罪者は怪しまれずにターゲットに近づくことができ、すぐに逃げることもできる。そのため、そこには犯罪が成功しそうな雰囲気が漂っている。また、「見えにくい場所」では、そこでの様子をつかむことが難しいので、犯罪者は余裕しゃくしゃくで犯行を準備することができ、犯行そのものも目撃されそうにない。そのため、そこにも犯罪が成功しそうな雰囲気が漂っている。
このように、「入りやすく見えにくい場所」で犯罪が起きやすいなら、対策は、その場所を入りにくくする、見えやすくする、ということになる。犯罪者が景色を見たときに、「犯罪は失敗しそうだ」と思い、犯罪をあきらめるような場所にするわけだ。これが、犯罪機会論に基づく対策である。
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