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「勝利」どころか「戦争」も宣言しなかったプーチン...戦勝記念日に暴かれたロシア軍の実態
HJSのアリオナ・ヒルフコ戦略関係マネジャーは「おそらくプーチンは追加動員やウクライナでの次の動きについて大きな発表をすると多くの人が考えていた。キーウが核兵器を保有することを宣言したと言及することでウクライナに改めて核の脅しを加えようとしたのかもしれない」と言う。
しかしヒルフコ氏が注目するのは「空挺旅団がパレードに加わっていなかった」ことだ。「上空に戦闘機が見られなかった。戦闘機はどこに行ったと国民は疑問に思っている。戦艦はどこに行ったのかと。戦争は計画通りには進んでいない、最高のパレードでもなかったと。反体制派はこれが最後のパレードになると言っている」と指摘した。
ウクライナ出身のヒルフコ氏は同国で政治コンサルタントや選挙運動責任者、同国最高議会議員の首席補佐官を務め、2015年には地元ウクライナ西部チェルニヴツィの地方議員に選出されている。「ウクライナが第二次大戦で赤軍に属したり、ナチスに協力したりしたのはさまざまな帝国やより強力な国家の交差点にあり、歴史が交差していたからだ」と言う。
「1941年に招集されたウクライナ兵で45年まで生き延びたのは3%」
「1932~33年にソ連の独裁者ヨシフ・スターリンによる人工的な大飢饉(ホロドモール)を経験したウクライナにとってソ連もナチスドイツも邪悪で、どちらが良いか選ぶことはできなかった」。こう祖国の歴史を振り返るヒルフコ氏はウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領がこの日を「ナチズムに対する勝利」と位置づけるのは正しいと強調する。
「なぜなら第二次大戦で800万人のウクライナ人が犠牲になった。50人に1人だ。1941年に招集されたウクライナ兵で45年まで生き延びたのはわずか3%だ。ウクライナが失った人口は死亡、避難、強制退去、強制収容所の犠牲者を含めると1400万人にのぼる。そうした史実は今日のロシアのプロパガンダのどこにも書かれていない」とヒルフコ氏は語る。
米ウイルソンセンター・ケナン研究所のイザベラ・タバロフスキー上級プログラム・アソシエイトは「プーチン氏は典型的なプーチン氏だった。誰もが期待するようなことは口にしなかった。プーチン氏が戦争を宣言し、大量動員するという話があった。それ以前には勝利を宣言するという話もあったが、そのどちらも行わず、期待を見事に裏切った」と分析する。
「注目すべきなのは、西側への罪のなすりつけが非常に顕著になり、ウクライナへの侵攻は(西側との衝突を回避するための)先制攻撃だと対独戦勝記念日に改めて公言したことだ。この戦争が先制攻撃であり、ロシアは敵に取り囲まれているというビジョンを最大化するようナラティブ(物語)を確立しようとしていることが鮮明になった」