「一度手に入れたものは返さない」ロシア──日本に求められる「普通」の外交
Daniel Leussink-REUTERS
<弱ると動くが、力を回復すればすぐに合意をひっくり返すロシア。「ロシアが疲弊すれば北方領土は返ってくる」といたずらに期待すべきではない理由とは?>
1992年頃、モスクワでのことだ。ソ連崩壊後、混乱と疲弊の中にあったロシアは北方領土問題で譲るような姿勢を示し、日ロ間で真剣なやりとりが行われていた。日本大使館で広報を担当していた僕は、レセプションでロシアの友人に言われた。「河東さん、ロシアはいま弱っている。領土の話はロシアが回復するまで待ってくれ。いま譲っても国内で反発が出て話は絶対壊れる」と。
話し合いは続いたがロシアは譲らず、2000年代に原油価格の高騰ですっかり体力を回復すると、「北方四島のロシア領有は戦後の現実。これを変えることはできない」と言うようになった。「弱くても駄目、強くなると一層駄目。要するに一度手に入れたものは返さない」のがロシアの立場なのだ。
冷戦時代に膠着していた北方領土問題は、ソ連が弱体化したミハイル・ゴルバチョフ大統領末期に話が動き始めた。当時の小沢一郎自民党幹事長は多額の支援との引き換えに島の返還を図る案を進めた。しかし、91年4月に来日したゴルバチョフ大統領は領土では一寸も譲らず、ビザなし交流の開始を提案した程度にとどまった。
ソ連崩壊後のロシア大混乱のなか、ボリス・エリツィン大統領は北方領土問題を積極的に手掛ける姿勢で日本の気を引き、日本もロシアの民主化・経済改革を積極的に支援し始める。
93年10月に来日したエリツィンは「東京宣言」に署名し、北方四島の帰属について歴史的経緯を勘案し、法と正義の原則に基づいて解決していくと声明した。そしてエリツィンは97年11月、当時の橋本龍太郎総理と00年までには平和条約を結ぶことで合意するのだが、病気と経済混乱で99年末に辞任してしまう。
「四島返還」の旗は降ろすな
続くウラジーミル・プーチン時代、日本は随分直接投資も行い、ロシア経済に真剣に対応した。それもありプーチン大統領は、エリツィンがあえて言わなかった56年の日ソ共同宣言(歯舞・色丹は平和条約締結後引き渡すと明示)の有効性を認める。
だがその後、日ロ関係はつるべ落としに後退し、米ロ関係も悪化を超えて敵対関係に入っていく。オホーツク海に長距離核ミサイル搭載の原潜を潜ませ、アメリカにいつも照準を定めているロシアにとっては、北方四島をおいそれと日米同盟の支配下に置きたくない。
それでも北方領土問題を動かそうとした安倍晋三元首相は結局失敗。22年2月に岸田文雄政権が制裁に加わったことで、翌月ロシアは日本を非友好国リストに入れ、9月には北方領土とのビザなし交流を破棄した。
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