米韓首脳会談で文在寅は弱腰批判を免れたが、バイデン外交の2つの基本「中国の体制批判」と「北朝鮮の非核化」は変わらない
だが、結局、共同声明において用いられたのは「朝鮮半島の非核化」という表現であった。つまり、北朝鮮を巡る問題でも韓国政府はその懸念の一部を回避する事に成功した事になる。因みに、日米首脳会談では同じ問題について共同声明は「北朝鮮の非核化」という表現を用いているから、日米と日韓、二つの首脳会談はここでも大きな違いを見せた事になる。加えて同じ共同声明には、この朝鮮半島の非核化と平和の確立を達成するには「外交と対話が不可欠」であるとの一文も入る事となり、残る限られた任期の中で、北朝鮮との対話を再び実現したい文在寅政権としては、交渉に向けてのお墨付きをバイデンからもらった形にもなっている。
米韓首脳会談における韓国側のもう一つの大きな成果は、ここで「米韓ミサイル指針」の撤廃が合意された事である。米韓ミサイル指針とは、1979年、当時の米国政府が韓国へのミサイル技術提供と見返りに締結した、韓国におけるミサイル開発を制限するものであり、これにより韓国は、射程距離800km以上の弾道ミサイルの開発を禁止されて来た。背景には、1970年代末のデタントの進行と、朴正熙政権とカーター政権の対立があった。この言わば、韓国政府にとって冷戦期からの「負の遺産」とも言える米韓ミサイル指針の撤廃は、韓国が漸く「ミサイル主権」を回復したものとして、文在寅政権を支える進歩派のみならず、軍と近い保守派からも支持されることとなっている。
日韓の違いを放置してきたアメリカ
こうして見ると明らかなのは、日本を同じく接種が遅れるワクチン供給の不安を、米国からの早期のワクチン供給を約束させる事により解消できなかった事等への批判こそあるものの、本来の米国との間の外交的懸案については、文在寅は予想以上に無難にバイデンとの最初の首脳会談を乗り切ったように見える。
とはいえ、同時に疑問は残る。それは僅か1か月の間に行われた二つの首脳会談に見られる余りにも大きな違いである。そして既に述べた様に、それは必ずしも、日韓両国が首脳会談への準備過程で、米国政府を自らの望む方向へ導くべく、懸命に努力した結果だとも言えなかった。何故なら、この違いは既に3月に東京とソウルで相次いで行われた、二つの「2プラス2」、つまりは、外務・国防担当閣僚協議にて見られたものと同じだったからである。そしてその事は、日韓関係と米韓関係は、この2か月間、平行状態でそのまま推移してきた事を示している。
つまり、米国はこの2か月間、両者の相違を放置し、これを調整しようとしていないのである。だからこそ、この首脳会談の直前において韓国の外交筋は、首脳会談そのものについて大きな憂慮を有していなかった、と言われている。それは彼らが米国からの強い圧力を肌で感じていなかったからに他ならない。
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