コラム

人民解放軍を骨抜きにする習近平の軍事制度改革

2015年12月10日(木)17時00分

 いま一つには、法にもとづく軍隊の厳格な統治を目的とした体制の構築である。軍内に司法機関等(軍紀律検査委員会、政法委員会)を設置し、中央による軍内紀律を徹底するための制度化である。三つめにはくるのが、先にも触れた30万人の人員の削減であり、軍の数的規模を削減し、質の向上(プロフェッショナル化)を目指すものである。

 第四は軍隊による「有償サービス」の提供の停止である。「有償サービス」とは、軍所属の病院への一般市民の患者の受け入れ、歌唱や舞踊、演劇などの文芸、啓発、宣伝活動を担う組織(文芸工作団)や軍施設の対外的な貸し出し、また退役した軍人に対する福利厚生の提供などである。これらを禁止するというのである。その狙いは、軍が「有償サービス」をつうじて社会(企業)との間に緊密な関係ができあがったことによって生じた腐敗汚職の根絶を目指したものといえる。

人民解放軍の特別な政治的地位は失われる

 筆者は、この四つのポイントのうち、第四番目の「有償サービス」の提供の停止は、習近平の軍事制度改革が持つ意義のなかで、また習近平と軍の関係を考える上で極めて重要な意味をもつものだと考える。「有償サービス」提供の停止にともない、軍付属の病院は軍の系統から離れ、立地する地方政府の所管となるだろう。文工団の廃止、退役軍人に対する福利厚生サービスの見直しによって、削減された人員の再雇用や、退役後の生活をどの様に保障するのかといった問題が生じる。いずれも軍という組織にとって極めて重大な問題だ。

 これらの問題を克服するために、軍は、様々な国家機関と「対話」をしなければならなくなる。軍籍を離れる人員の再雇用先を探し、退役した人員の生活を保障するための予算を獲ってくるのだ。

 これまで軍は、軍内の様々な資源を活用することで、あるいは自らが対外的なサービスを提供することをつうじて、これらの問題を自らの力だけで解決することができた。しかし、今後は、これらの問題を克服するために、行政機関との交渉や議会での要求の表明など、国家機関のなかの一つの機関として「政治」をしなければならない。いま中国の地方では、軍の「議会対策」の活動が活発である。

 こうして人民解放軍は中国政治における特別な政治的地位を失い、いくつかある国家機関の中の一つになるのだろう。

 これまで、中国政治において人民解放軍が担ってきた役割は、戦闘部隊としての国防の役割だけではない。大衆に中国共産党の政策やイデオロギーを宣伝し、啓発する役割をはじめ、いろいろな政治的な経済的な、そして社会的な役割を担ってきた。それが人民解放軍のアイデンティティーであったし、その政治的な地位の高さの来源であった。それが切り崩されるのである。

 習近平は、こうしたかたちで、自らの体制の持続に必要な強制力としての軍を、掌握しようとしているのである。もちろん軍の政治的機能を奪おうとするこうした試みは、様々な抵抗を受けるだろう。軍事制度改革を発表した中央軍事委員会改革工作会議は、議論が紛糾し、会期が予定よりも延びたという報道もある。

 中華民族の偉大な復興を目指す積極的な中国の対外行動の裏側で、習近平と軍との間の駆け引きは続いてゆく。

プロフィール

加茂具樹

慶應義塾大学 総合政策学部教授
1972年生まれ。博士(政策・メディア)。専門は現代中国政治、比較政治学。2015年より現職。国際大学グローバル・コミュニケーション・センター客員研究員を兼任。國立台湾師範大学政治学研究所訪問研究員、カリフォルニア大学バークレー校東アジア研究所中国研究センター訪問研究員、國立政治大学国際事務学院客員准教授を歴任。著書に『現代中国政治と人民代表大会』(単著、慶應義塾大学出版会)、『党国体制の現在―変容する社会と中国共産党の適応』(編著、慶應義塾大学出版会)、『中国 改革開放への転換: 「一九七八年」を越えて』(編著、慶應義塾大学出版会)、『北京コンセンサス:中国流が世界を動かす?』(共訳、岩波書店)ほか。

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

トランプ氏、米軍制服組トップ解任 指導部の大規模刷

ワールド

アングル:性的少数者がおびえるドイツ議会選、極右台

ワールド

アングル:高評価なのに「仕事できない」と解雇、米D

ビジネス

米国株式市場=3指数大幅下落、さえない経済指標で売
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:ウクライナが停戦する日
特集:ウクライナが停戦する日
2025年2月25日号(2/18発売)

ゼレンスキーとプーチンがトランプの圧力で妥協? 20万人以上が死んだ戦争が終わる条件は

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    口から入ったマイクロプラスチックの行く先は「脳」だった?...高濃度で含まれる「食べ物」に注意【最新研究】
  • 2
    人気も販売台数も凋落...クールなEVテスラ「オワコン化」の理由
  • 3
    メーガン妃が「アイデンティティ危機」に直面...「必死すぎる」「迷走中」
  • 4
    1888年の未解決事件、ついに終焉か? 「切り裂きジャ…
  • 5
    深夜の防犯カメラ写真に「幽霊の姿が!」と話題に...…
  • 6
    がん細胞が正常に戻る「分子スイッチ」が発見される…
  • 7
    ソ連時代の「勝利の旗」掲げるロシア軍車両を次々爆…
  • 8
    私に「家」をくれたのは、この茶トラ猫でした
  • 9
    トランプが「マスクに主役を奪われて怒っている」...…
  • 10
    飛行中の航空機が空中で発火、大炎上...米テキサスの…
  • 1
    口から入ったマイクロプラスチックの行く先は「脳」だった?...高濃度で含まれる「食べ物」に注意【最新研究】
  • 2
    がん細胞が正常に戻る「分子スイッチ」が発見される【最新研究】
  • 3
    人気も販売台数も凋落...クールなEVテスラ「オワコン化」の理由
  • 4
    戦場に「北朝鮮兵はもういない」とロシア国営テレビ.…
  • 5
    動かないのに筋力アップ? 88歳医大名誉教授が語る「…
  • 6
    朝1杯の「バターコーヒー」が老化を遅らせる...細胞…
  • 7
    7年後に迫る「小惑星の衝突を防げ」、中国が「地球防…
  • 8
    ビタミンB1で疲労回復!疲れに効く3つの野菜&腸活に…
  • 9
    「トランプ相互関税」の範囲が広すぎて滅茶苦茶...VA…
  • 10
    飛行中の航空機が空中で発火、大炎上...米テキサスの…
  • 1
    週刊文春は「訂正」を出す必要などなかった
  • 2
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる唯一の方法
  • 3
    【一発アウト】税務署が「怪しい!」と思う通帳とは?
  • 4
    口から入ったマイクロプラスチックの行く先は「脳」…
  • 5
    「健康寿命」を延ばすのは「少食」と「皮下脂肪」だ…
  • 6
    1日大さじ1杯でOK!「細胞の老化」や「体重の増加」…
  • 7
    がん細胞が正常に戻る「分子スイッチ」が発見される…
  • 8
    戦場に「北朝鮮兵はもういない」とロシア国営テレビ.…
  • 9
    世界初の研究:コーヒーは「飲む時間帯」で健康効果…
  • 10
    「DeepSeekショック」の株価大暴落が回避された理由
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story