障がいがある子の新米お母さんたちへ、今伝えたいこと(後編)
Nadezhda1906-iStock.
<前編から続く>
今回の事件を受けて、知的障害者の権利擁護と政策提言を行う「全国手をつなぐ育成会連合会」が声明を出し、私自身もツィッターやフェイスブックで「全力で皆さんを守ります」とコメントをしながら声明文を紹介しました。私と繋がっている多くの皆さんがすぐに「全面的に支持します」「守る側に〈絶対的に〉連帯します」「こうした理不尽を絶対に社会は認めない」「障害者も健常者も共に助け合い支え合って生きねばならない、それが社会に大きな価値を生み出す」と意思表示をしてくれました。「私も」と一言だけ添えてくれる人も多かったです。こうした書き込みを見る度にこみ上げる思いがしましたし、本当に心強いと感じています。
娘の場合、知的の区分けをすると重度に分類されるようです。ようです、と言うのは知的重度と言ってもジェスチャーや表情など本人の感情表現は実に豊かで、どうやら発話出来るかどうかが1つの判断材料にはなっているようですが、意思疎通がそれなりに図れる以上、何をもって重度・軽度とするのか正直なところ私自身がよくわかってないためです(区分けに不満があるということでは全くありません)。かく言う私は元々文学部出身で、文学と言語学を専攻し、語学を含め教員の経験もあるため、そして文筆業もしてきましたので、これまでの人生の大半はコミュニケーション・ツールとしての言葉に漫然と重きを置いてきました。しかし、娘を育てているうちに例えば手話だって立派な意思疎通を図る道具であるように、コミュニケーションを言葉だけに限定するのは実は狭窄的であることに気がつきました。言語とは何か、どうあるべきなのかという根底の部分も考えるようになりました。先日来日した英国ロイヤルバレエ団のアウトリーチ活動に同行したことも影響しているかもしれません(バレエでは踊りが言語。言葉はいらないのです。言葉はないのに言語の本質がそこにはあります)。
他のお子さんと比べたら、娘に出来ない事は沢山ありますが、同じ知的重度といっても障がいのバリエーションは様々で、療育の中で改善していくことももちろんあります。受け止める親側の精神状態も周囲のサポートの状況などで変わってきます。幸いなことに障がいを前向きに受け入れてくれるコミュニティに私自身が身を置いていること、それで随分と救われているのは間違いありません。最近では健常者との線引きすら自分の中では曖昧になってきていますが、自身の考え方と周囲の支援によって、自分の意識も実際の状況も劇的に変わるものです。
あなたのお子さんが私の娘のように重度との診断をされても、どうか絶望しないで下さい。それで世界が終るわけではありません。むしろ、産んだ当初は思いも寄らなかった重層的で濃密な毎日が待っています。予想もしなかった方向に世界も広がっていきます。そして、どんな障がいであっても、極めて例外的な今回のような事件によって、あなたとあなたのお子さんが怯えて過ごす必要はありません。再発防止に政府も早速取り掛かっています。私を含め、多くの人たちが全力であなたとお子さんを守ります。
私の子育てが参考になるかどうかわかりませんし、障がいのある子どもの子育て歴7年などまだまだヒヨッコ、これから先の方が苦労は絶えないのかもしれませんが、少なくとも私の7年間の子育てはどの瞬間も笑いが絶えず、とても楽しい毎日でした。なぜかと言えば娘がかわいくてかわいくて仕方ないから。私の日常をご存じない方、間近で見てない方は、障がいを抱えた子どもを持つカワイソウな母親の戯言と思われるかもしれませんが、娘との毎日が楽しいのは事実なので仕方ありません。
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