群馬・草津町議の「性被害」告発をうのみにした人々が今すべきこと
バイアスの言語化に教訓が宿る
彼らは、新井氏の「事実無根の発言」に加え、この件とは別の不祥事も理由とした町議の失職についても「日本は遅れている」「女性議員へのバッシング」という自分たちに都合のいい文脈でしか理解しようとしなかった。個人の属性によって証言の重みを変えてしまい、結果として信用に足らない証言を「事実」として広めていった。少なく見積もっても「町長が嘘をつき、言い逃れをしている」という印象を強めてしまった。
女性が性被害を訴えても黙殺してきた歴史が日本にあるのはそのとおりだ。だが、だからといって全ての告発をうのみにしていいというものではない。
海外メディアにしても事件の全てを緻密に取材し、検証しているものではない以上、その報道が常に正しいということはあり得ない。
支援者にとってはなかったことにしたい過去かもしないが、この事件そのものは検証が必要だ。誰にでもバイアス(偏り、先入観)はあり、それは時に認知をゆがめる。今回の支援者の失敗は誰にも起き得ることだ。なぜ町長の証言を信じられないと彼らは思ってしまったのか。
自身のバイアスを言語化する過程のなかに、社会への教訓が宿ると思うのだが......。
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