コラム

ノーベル賞受賞者が言ったから、イベルメクチンを「盲信」していいのか?

2022年06月14日(火)18時00分

HISAKO KAWASAKIーNEWSWEEK JAPAN

<「新型コロナの特効薬」としては既に懐疑的な見方が広がっているイベルメクチン。しかしこの抗寄生虫薬を強力に推す本が売れ続けている。編者は薬の生みの親であり、その成果でノーベル医学生理学賞を受賞した大村智氏だ>

今回のダメ本

ishidoweb220614_02.jpg
『イベルメクチン 新型コロナ治療の救世主になり得るのか』
大村 智[著]
河出新書
(2021年11月30日)

最初に断っておくと、私は大村智氏が2015年にノーベル医学生理学賞を受賞した業績については、称賛以外の見解を持たない。大村氏が静岡県伊東市内のゴルフ場の土から見つけた新たな細菌、そしてこの細菌が出す化合物から生まれた画期的な抗寄生虫薬「イベルメクチン」は、科学史に名前が刻まれるべき業績だ。だが偉大なイベルメクチンの誕生秘話と、新型コロナ特効薬になるか否かは別の問題だ。

本書は大村氏の編著という形を取っており、執筆陣には科学者だけでなく、大村氏を長年取材してきた科学ジャーナリストも名前を連ねている。一読して気になったのは、「被害者感情」とでも呼ぶべきものだ。本当なら新型コロナにも効果があるイベルメクチンが積極的に使われないのは、何か裏の事情があるはずだ──そんな思いが、そこかしこに滲(にじ)み出ているように読める。実際に、件(くだん)のジャーナリストは終章でこう記している。

<<イベルメクチンをめぐる世界の動向はこの薬剤が新型コロナに有効かどうかという医学的テーマだけでなく、薬剤開発を展開する医薬品企業の思惑、それを監督する立場の政府機関、パンデミックの対応を迫られる国際機関と公衆衛生機関などの思惑が複雑に絡んで、見方によっては政治問題の様相を見せ始めています。>>

本当にそうなのだろうか。イベルメクチンが新型コロナウイルスに効果があればどれだけ良かっただろう、とおそらく世界中の医療者が思ったはずだ。だからこそ、医学的な知見からの検証が続けられてきた。最新の状況を知るために、今年3月にこんなニュースが流れた事実を示しておこう。「新型コロナウイルスの患者に投与しても、入院に至るリスクを下げる効果はなかったとする臨床試験の結果を、ブラジルなどの研究グループが発表しました」(2022年3月31日、NHK)

本書に推薦コメントを寄せている東京都医師会の尾﨑治夫会長は、イベルメクチンを診療の場で使えるよう積極的に提言してきた1人である。私が取材していた範囲では、新型コロナ患者を診療してきた医療従事者には少なくとも21年に入ってからはイベルメクチン使用に懐疑的な見方が定着していた。本書が出版された21年12月時点では、尾﨑提言に冷ややかな反応のほうが多くなっていたように思う。そして、現時点においては、正しかったのは現場で知見をためていた医師たちのほうだった。

プロフィール

石戸 諭

(いしど・さとる)
記者/ノンフィクションライター。1984年生まれ、東京都出身。立命館大学卒業後、毎日新聞などを経て2018 年に独立。本誌の特集「百田尚樹現象」で2020年の「編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞作品賞」を、月刊文藝春秋掲載の「『自粛警察』の正体──小市民が弾圧者に変わるとき」で2021年のPEPジャーナリズム大賞受賞。著書に『リスクと生きる、死者と生きる』(亜紀書房)、『ルポ 百田尚樹現象――愛国ポピュリズムの現在地』(小学館)、『ニュースの未来』 (光文社新書)など

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

1月改定景気動向指数、一致指数は前月比+0.1ポイ

ビジネス

ECB、金利設定は「現実的かつデータ主導で」=伊中

ワールド

ベトナム、対米関税引き下げへ スターリンクの試験サ

ワールド

タイ首相への不信任案否決、連立政権の安定示す
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:まだ世界が知らない 小さなSDGs
特集:まだ世界が知らない 小さなSDGs
2025年4月 1日号(3/25発売)

トランプの「逆風」をはね返す企業の努力が地球を救う

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    テスラの没落が止まらない...株価は暴落、業績も行き詰った「時代遅れ企業」の行く末は?【アニメで解説】
  • 2
    【独占】テスラ株急落で大口投資家が本誌に激白「取締役会はマスクCEOを辞めさせろ」
  • 3
    「一夜にして死の川に」 ザンビアで、中国所有の鉱山ダムから有毒の水が流出...惨状伝える映像
  • 4
    「トランプが変えた世界」を30年前に描いていた...あ…
  • 5
    「テスラ離れ」止まらず...「放火」続発のなか、手放…
  • 6
    トランプ批判で入国拒否も?...米空港で広がる「スマ…
  • 7
    老化を遅らせる食事法...細胞を大掃除する「断続的フ…
  • 8
    【クイズ】アメリカで「ネズミが大量発生している」…
  • 9
    「悪循環」中国の飲食店に大倒産時代が到来...デフレ…
  • 10
    800年前のペルーのミイラに刻まれた精緻すぎるタトゥ…
  • 1
    中国戦闘機が「ほぼ垂直に墜落」する衝撃の瞬間...大爆発する機体の「背後」に映っていたのは?
  • 2
    「さようなら、テスラ...」オーナーが次々に「売り飛ばす」理由とは?
  • 3
    「一夜にして死の川に」 ザンビアで、中国所有の鉱山ダムから有毒の水が流出...惨状伝える映像
  • 4
    「今まで食べた中で1番おいしいステーキ...」ドジャ…
  • 5
    テスラの没落が止まらない...株価は暴落、業績も行き…
  • 6
    「低炭水化物ダイエット」で豆類はNG...体重が増えな…
  • 7
    「テスラ離れ」止まらず...「放火」続発のなか、手放…
  • 8
    市販薬が一部の「がんの転移」を防ぐ可能性【最新研…
  • 9
    【クイズ】世界で2番目に「レアアース」の生産量が多…
  • 10
    古代ギリシャの沈没船から発見された世界最古の「コ…
  • 1
    中国戦闘機が「ほぼ垂直に墜落」する衝撃の瞬間...大爆発する機体の「背後」に映っていたのは?
  • 2
    テスラ離れが急加速...世界中のオーナーが「見限る」ワケ
  • 3
    「テスラ時代」の崩壊...欧州でシェア壊滅、アジアでも販売不振の納得理由
  • 4
    「さようなら、テスラ...」オーナーが次々に「売り飛…
  • 5
    テスラ失墜...再販価値暴落、下取り拒否...もはやス…
  • 6
    「一夜にして死の川に」 ザンビアで、中国所有の鉱山…
  • 7
    「今まで食べた中で1番おいしいステーキ...」ドジャ…
  • 8
    市販薬が一部の「がんの転移」を防ぐ可能性【最新研…
  • 9
    テスラ販売急減の衝撃...国別に見た「最も苦戦してい…
  • 10
    【クイズ】アメリカを貿易赤字にしている国...1位は…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story