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日本ではなぜ安全保障政策論議が不在なのか
1992年に国際平和協力法が成立して、日本が国連平和維持活動に参加しようとしていたときに、多くのメディアと野党がそれを可決しようとする政府を激しく批判して、罵倒していた。また街中には反対派のデモが溢れていた。さらには、内戦後のカンボジアに平和と安定をもたらそうと国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)が活動する中で、日本政府もそこに協力するために自衛隊を派遣しようとした際にも、激しい批判が渦巻いていた。そこで主張されていたのは、これらによって戦後日本の平和国家としての理念が失われるということであり、戦前の軍国主義に回帰するということであった。また民意を無視した政府の強行採決が、民主主義を破壊するということだった。自衛隊のカンボジア派遣が、戦争への道へと必然的につながると懸念されていた。
ところが、そのような批判を行い、デモを行う者が、実際のユーゴスラビア和平や、カンボジア和平の交渉の経緯に精通していることは稀であった。はたして、ユーゴスラビア和平へ向けたNATOやEU、あるいはアメリカ政府の取り組みにどのような問題点があり、日本政府がどのような提案をして、どのような役割を担うべきか。具体的な提案は、ほとんどなされていなかった。
在日米軍と自衛隊によって守られた平和な日本で、安全が確保された状態で、大きな声で平和を叫んでいても、スレブレニッツァやルワンダの虐殺で失われた命が戻るわけではない。また、それ以後にコソボやシエラレオネの内戦で殺される人々の命を守ることにも役立たない。平和な日本で平和を叫ぶよりも、まず実際に起きている虐殺や紛争を止めるための具体的で実現可能な提案をする方が、優先されるべきではないだろうか。そのためにはまず、世界で何が起きているかを知り、国際情勢の現実に精通して、国際会議で実際に行われている交渉や議論について熟知することが重要ではないのか。
これほどまでに抽象的な平和を説くことに熱心で、これほどまでに他国の平和を実現することに無関心な国民も世界ではほかにいないのではないか。今、官邸や国会の周辺で安保法制案に反対する人々は、実際に戦闘が行われているウクライナ東部や、「イスラム国」の攻撃を受けているシリアにおいて、具体的にどのような措置を執ることで戦闘が終わるのか提案をすることを、なぜしないのだろうか。国際社会でそれらの安全保障問題についてどのような討議が行われて、欧米諸国の政府の間でどのような協議が行われているのか、なぜ学ぼうとしないのだろうか。自分たちが戦争に巻き込まれるのはいやだけれども、他国民の命がどれだけ失われても自分たちには関係がないと考えているのだろうか。
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