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日本ではなぜ安全保障政策論議が不在なのか
戦争を憎み、平和を愛する点において、私は安保法制案に反対してデモをする人々と理念を共有している。しかしながら、平和を実現するためにどのような措置を執るべきかについて、そしてどのような安全保障政策を選ぶべきかというアプローチにおいて、私はおそらく異なる考えを持っている。私は平和を破壊して、他国を侵略する行為に対して、自国民の生命を守るために自衛的措置を執ることは必要だと考えているし、それは個別的であっても集団的であっても同様であると考えている。また、そのような侵略行為に対して、国際社会が国連憲章第7章に基づいて軍事的強制措置を執り、平和を回復しようとすることを必要なことと考えており、日本がそれに協力することも必要だと考えている。
安保法制に反対する人々の一部は、軍事的な手段を嫌い、それゆえに日米同盟を解消して、自衛隊を廃棄することが望ましいと主張している。そして、国連憲章51条で保証されている個別的および集団的自衛権を「悪」として考えて、また国連憲章第7章で規定されている「平和に対する脅威、平和の破壊及び侵略行為に関する行動」としての軍事的強制措置を、拒絶している。あらゆる紛争が、対話のみで解決可能と考えているからだ。それは、現実に紛争が溢れている世界において、平和を維持するために世界各地にPKO部隊を派遣している多くの諸国に共有される正義とはいえない。
今回の安保法制案をめぐる議論で、もっぱら抽象的な平和主義ばかりが聞こえて、具体的な政府案に変わる望ましい安全保障政策の具体像がほとんど見られないことは、不幸なことである。政府案が常に正しいわけではない。だからこそ、それに替わる選択肢を示すことが必要なのだ。
他国が侵略をされて、日本政府へと救援を求めてもそれを無視すること。国際社会が結束して侵略行為を阻止しようと行動をとるときにそこから離れていること。それは本当に、日本国憲法がそもそも想定していた理想なのであろうか。自国の安全以外にまったく関心を持とうとせず、国際社会で侵略行為がなされていてもそれを傍観するエゴイズムとシニシズムは、実は戦前の日本国民が抱いていた国防観とおどろくほど似たものであることに気づいてほしい。
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