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DaiGo炎上問題、「問題提起」だろうと「個人の感想」だろうと許されない意見はある
こうして、無敵の体系が誕生する。経済力がありチャンネル登録者数が多い者の発言は、そうでない者の発言に対して常に優越する。発言の内容が評価されず、発言者の心理だけが判断材料になるなら、必然的にそうなるのだ。権力を背景としたディベート技術に長けた者がインフルエンサーとして幅を利かせる社会で、それを学んだ若者たちが価値を問わず利害だけを求めて「自己研鑽」に走っていく。これは一種のディストピアではないだろうか。
無敵の体系を持つ者たちの相互支援システム
DaiGo「炎上」を受けて、似たような無敵の体系の持ち主である堀江貴文が、批判者は内容はどうでもよくて単に叩きたいだけという趣旨の「擁護」を行った。これもまた「同類」が炎上しているときに、よく行われる支援の手法だ。ここでまた批判者の「心理」にスポットが当てられている。炎上の内容を問題にするのではなく、炎上という事象そのものを問題にするのだ。
ゴシップ的な悪意ある炎上と、炎上してしかるべき炎上は区別されるべきだ。しかしこのような価値の体系が崩壊した視点からは、その両者を区別することができない。個人に対する集中攻撃、「吊し上げ」はよくないという一般論めいたことで問題を相対化・矮小化し、何かを言った気になっているだけなのだが、こうした「炎上批判」もまた俗情にはウケやすいという問題もある。
DaiGo「炎上」事件で見えた光明
8月13日夜、DaiGoは生配信を行い、今回の発言について謝罪し、自分の無知が原因だったとして、今後支援団体などに教えを請う意思を示した。しかし困窮者も頑張っているから差別してはいけないという理解は、差別されても仕方がない人々もいるという余地を残す。本来は、「ホームレス」も生活保護受給者も、DaiGoのために何も証明する必要はない。そもそも根本的に反省すべきは、無知ではなく、前述したような価値の相対化と能力主義によって差別思想が肯定されてしまうことなのだ。14日、生活困窮者支援団体4団体は、DaiGoの「反省と謝罪は単なるポーズの域を出ていない」という声明を出した。その夜DaiGoは自身の謝罪を撤回し、改めて謝罪しなおした。
とはいえ、まったく評価できない「謝罪」だったとしても、当初は強気の態度だったDaiGoを「謝罪」に追い込むほど強い批判が今回SNS等で巻き起こったのは一安心だった。差別思想・優生思想は「ひとつの意見」としても尊重されないということを示すことができたのは、よいメッセージとなる。この事件を何かの「きっかけ」とするならば、価値を相対化し、何でも「ディベート」の俎上にあげる最近の風潮を見直すきっかけにするべきだろう。
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