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「目の前の試合をやることしかできない」?──アスリートも例外ではない「現場プロフェッショナルロマン主義」の罪
現場で頑張っている者を応援するのはコストをかけずに誰でもできる。コロナだけでなく、災害や他のトラブル、あるいはただの日常で、頑張っている者がいることに着目し、その頑張りに寄り添うのは、ある意味ではお手軽なエンターテインメントだ。「どんな危機に陥っても、皆がそれぞれ役割を全うすることによってそれを克服する日本人は素晴らしい!」と、そこにちゃっかり自分を含めることもできる。実際、7月になって明らかになったワクチン不足とそこからくる予約キャンセルなどの混乱の責任を、政府は「現場が思ったよりも頑張ったので接種が早かった」という美談で曖昧にしようとしている。
現場の努力をただ消費するだけで、それを公共的・政治的な関心として捉えようとしないこと、むしろ前者によって後者を否定することが「現場プロフェッショナルロマン主義」の特徴だ。それがエスカレートすると、特に賞賛すべき事実が見出せなくても、「現場」の意見というだけで無批判に抱きつき、支持してみせるような、丸山眞男が指摘した「実感信仰」と似たようなイデオロギーに至る。
そこにはまた、「一人ひとりが与えられた責務を全うすることで世の中は上手くいく」という信仰がある。世の中が上手くいっていないなら、誰かがサボっているからに違いない。ということで、「現場プロフェッショナルロマン主義」は自己責任論と相性がいい。社会を悪くしているのは、政府批判したり、デモにかまけて自助努力を怠っている「あいつら」だ!ということになる。
「一人ひとりが与えられた責務を全うすることで世の中は上手くいく」という信仰も、根拠のない技術信仰だ。かつて哲学者ライプニッツは、この世界に起きているあらゆる事象は、個別には不幸や悲惨な事柄であっても、神の視点からみれば全てが調和しているとする「最善世界説」を唱えてヴォルテールの批判を受けた。「現場プロフェッショナルロマン主義」の脱政治的な楽観主義も、このタイプの世界観に基づいているといえる。
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