コラム

人を仮死状態にする薬をAIで探したら、認知症治療薬がヒット...なぜ「ドネぺジル」は冬眠の代わりになり得るのか?

2024年09月09日(月)13時40分
ドネペジル

アメリカでは1996年、日本では99年に承認されたドネペジル(写真はイメージです) luchschenF-Shutterstock

<低体温療法と同じ効果を薬剤だけで作りたいと考えていたハーバード大の研究チームが、AIを駆使して「冬眠」と似た効果が得られる薬を調査。その結果、アルツハイマー型認知症の進行抑制剤として広く処方されている「ドネペジル」が候補に挙がった。一体どういうことなのか?>

重篤な外傷で大量出血または心肺停止を起こした患者は、迅速に治療できなければほとんど生き延びることができません。この場合、受傷から決定的治療(手術や本格的な止血術など)を開始するまでの時間が1時間を超えるか否かが、生死の分かれ目になると考えられています。この最初の1時間は「ゴールデンアワー」と呼ばれ、救急医療では重要視されています。

一方、負傷者の身体を低温にして代謝や酸素消費量を抑えると、組織や脳の保護作用が得られ、治療までの時間稼ぎができることも知られています。しかし、30℃以下になると心室細動や菌血症のリスクが高まること、高度な設備と技術を持つ医療機関は限られていることから、いつでもどこでもできる療法ではありません。

アメリカ国防総省の特別機関で軍用技術の開発と研究を担う国防高等研究計画局(DARPA)は、2018年から「バイオスタシス・プログラム」を実施しています。このプログラムでは、ゴールデンアワーを延長するための研究を推進し、外部機関に研究費を提供しています。医療機関への迅速な搬送や救急対応が難しい、前線で活動する軍人の生存率を向上させるためです。

初年度からこのプログラムに参加しているハーバード大ヴィース研究所(The Wyss Institute for Biologically Inspired Engineering)の研究チームは今回、AIを使って、代謝や呼吸数を低下させて「冬眠」と似たような効果が得られる薬を探しました。その結果、アルツハイマー型認知症で最も歴史のある薬「ドネペジル」が候補に挙がりました。研究成果は生体や環境に関するナノテクノロジーに関する学術誌『ACS Nano』に8月21日付で掲載されました。

ドネペジルは、どうして冬眠の代わりになり得るのでしょうか。戦場以外でもドネペジルの「第二の薬効」は使い道があるのでしょうか。概観してみましょう。

薬剤だけで低体温療法と同じ効果を

一部の動物は、極端な気温や食料不足などの厳しい環境条件に晒されても、冬眠や休眠によって生き延びることが可能です。このとき、動物の身体では、体温、酸素消費量、心拍数、代謝状態などが低下しており、エネルギー消費を節約したり、臓器へのダメージを軽減したりすることができています。

ヒトは冬眠や休眠はしませんが、不治の病に侵された人が未来の医療を期待して仮死状態になったり、長期の宇宙旅行に耐えるために「コールドスリープ」したりする設定は、SF作品では馴染み深いものです。

ところが、「バイオスタシス・プログラム」は、戦場、つまり医療機関からの遠隔地を想定しています。なので、低体温療法を使わないでも代謝を可逆的かつ制御可能な状態で減速させ、医療介入が可能になるまで機能能力を安定させて保護する、新しい化学生物学アプローチが求められます。

プロフィール

茜 灯里

作家・科学ジャーナリスト/博士(理学)・獣医師。東京生まれ。東京大学理学部地球惑星物理学科、同農学部獣医学専修卒業、東京大学大学院理学系研究科地球惑星科学専攻博士課程修了。朝日新聞記者、大学教員などを経て第 24 回日本ミステリー文学大賞新人賞を受賞。小説に『馬疫』(2021 年、光文社)、ノンフィクションに『地球にじいろ図鑑』(2023年、化学同人)、ニューズウィーク日本版ウェブの本連載をまとめた『ビジネス教養としての最新科学トピックス』(2023年、集英社インターナショナル)がある。分担執筆に『ニュートリノ』(2003 年、東京大学出版会)、『科学ジャーナリストの手法』(2007 年、化学同人)など。

あわせて読みたい
ニュース速報

ビジネス

大手IT企業のデジタル決済サービス監督へ、米当局が

ビジネス

日産、米国従業員の6%が早期退職に応募 12月末付

ワールド

ウクライナ和平案、ロシアは現実的なものなら検討=外

ワールド

ポーランドの新米基地、核の危険性高める=ロシア外務
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:超解説 トランプ2.0
特集:超解説 トランプ2.0
2024年11月26日号(11/19発売)

電光石火の閣僚人事で世界に先制パンチ。第2次トランプ政権で次に起きること

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「会見拒否」で自滅する松本人志を吉本興業が「切り捨てる」しかない理由
  • 2
    Netflix「打ち切り病」の闇...効率が命、ファンの熱が抜け落ちたサービスの行く末は?
  • 3
    「ワークライフバランス不要論」で炎上...若手起業家、9時〜23時勤務を当然と語り批判殺到
  • 4
    習近平を側近がカメラから守った瞬間──英スターマー…
  • 5
    北朝鮮兵が「下品なビデオ」を見ている...ロシア軍参…
  • 6
    元幼稚園教諭の女性兵士がロシアの巡航ミサイル「Kh-…
  • 7
    若者を追い込む少子化社会、日本・韓国で強まる閉塞感
  • 8
    朝食で老化が早まる可能性...研究者が「超加工食品」…
  • 9
    クリミアでロシア黒海艦隊の司令官が「爆殺」、運転…
  • 10
    日本人はホームレスをどう見ているのか? ルポに対す…
  • 1
    朝食で老化が早まる可能性...研究者が「超加工食品」に警鐘【最新研究】
  • 2
    北朝鮮兵が「下品なビデオ」を見ている...ロシア軍参加で「ネットの自由」を得た兵士が見ていた動画とは?
  • 3
    朝鮮戦争に従軍のアメリカ人が写した「75年前の韓国」...写真を発見した孫が「衝撃を受けた」理由とは?
  • 4
    自分は「純粋な韓国人」と信じていた女性が、DNA検査…
  • 5
    「会見拒否」で自滅する松本人志を吉本興業が「切り…
  • 6
    ロシア陣地で大胆攻撃、集中砲火にも屈せず...M2ブラ…
  • 7
    アインシュタイン理論にズレ? 宇宙膨張が示す新たな…
  • 8
    建物に突き刺さり大爆発...「ロシア軍の自爆型ドロー…
  • 9
    沖縄ではマーガリンを「バター」と呼び、味噌汁はも…
  • 10
    クルスク州の戦場はロシア兵の「肉挽き機」に...ロシ…
  • 1
    朝食で老化が早まる可能性...研究者が「超加工食品」に警鐘【最新研究】
  • 2
    北朝鮮兵が「下品なビデオ」を見ている...ロシア軍参加で「ネットの自由」を得た兵士が見ていた動画とは?
  • 3
    外来種の巨大ビルマニシキヘビが、シカを捕食...大きな身体を「丸呑み」する衝撃シーンの撮影に成功
  • 4
    朝鮮戦争に従軍のアメリカ人が写した「75年前の韓国…
  • 5
    自分は「純粋な韓国人」と信じていた女性が、DNA検査…
  • 6
    秋の夜長に...「紫金山・アトラス彗星」が8万年ぶり…
  • 7
    北朝鮮兵が味方のロシア兵に発砲して2人死亡!? ウク…
  • 8
    「会見拒否」で自滅する松本人志を吉本興業が「切り…
  • 9
    足跡が見つかることさえ珍しい...「超希少」だが「大…
  • 10
    モスクワで高層ビルより高い「糞水(ふんすい)」噴…
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story