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「鑑真が持ってきた36種が今日の漢方薬の源」との研究結果 日本の漢方医学の歴史
漢方医学の基盤には哲学的な思想と経験の集積がある(写真はイメージです) marilyna-iStock
<岡山大の研究チームによれば、仏教伝来で知られる鑑真は仏典だけでなく、多くの漢方薬や香辛料、医学書を日本に持ってきたという>
現在の日本では、私たちが受ける医療は西洋近代医学が中心です。けれど、東洋医学に基づく漢方薬にも医師によって処方され保険適用されるものがあります。日本は、世界でも稀有な「西洋医学と東洋医学が臨床現場で共存している国」とも言えます。ドラッグストアで風薬を買うときに、天然由来の漢方成分を含むものを「体に優しそうだ」と選択する人もいるでしょう。
漢方薬を使う医学を漢方医学と呼びます。中国で数千年の歴史がある中医学・中医薬が5~6世紀に伝わった後、日本の風土や日本人の体格に合わせて独自に発展しました。江戸時代にはオランダから「蘭方医学(西洋医学)」が伝わったため、中国を意味する「漢」を使って対比する名称になりました。
先ごろ岡山大の研究チームは、「中医学の伝来から数百年後の奈良時代に唐の高僧・鑑真がもたらした漢方薬が、現在、日本で臨床の場で使われている漢方薬の基礎になっている」と、文献調査によって示しました。
日本の漢方薬の歴史を紐解きましょう。
漢方薬と組み合わせレシピを持ち込んだ鑑真
中国医学は、周王朝の時代から約 3000 年の歴史があります。中国医学の最古の書物で哲学や鍼灸について論じられた『黄帝内経』(約2000年前)や、後漢末期に伝染病の治療法などをまとめた『傷寒論』(約1800年前)などが、現代まで伝えられています。古墳時代後期に朝鮮半島を経て日本に伝来した中国医学は、その後も遣隋使や遣唐使により最新の内容に更新されていきます。
今回、岡山大の研究チームが注目したのが、日本への仏教伝来で知られている鑑真の影響です。
鑑真は688年に中国の揚州で生まれました。揚州は揚子江や京杭大運河が通る水運の要の都市で、世界中の物資が集まっていました。その中にはハーブや医薬品もありました。
14歳で得度(僧になること)した鑑真は、この土地で薬の基礎知識や、目だけではなく舌、鼻、指などを使って薬の鑑別をする方法を習得しました。20歳で長安に移ってから、さらに医学や薬学の知識を身につけたとされます。
律宗と天台宗を学んだ鑑真は742年、聖武天皇の命を受けて授戒(「戒」を遵守することを人前で誓う儀式)できる高僧を探していた栄叡、普照らに、「日本に戒律を伝えてほしい」と請われます。当時の日本は、修行を積まずに自分で「出家する」と宣言して僧になり、税金を免れる者が跡を絶たず、聖武天皇は授戒による得度を制度化しようとしていました。
鑑真は弟子に「日本に渡りたいものはいないか」と呼びかけますが、誰もいなかったので自ら渡日することにします。嵐や密告によって5度失敗し、途中で失明もした鑑真が日本への渡海を成功して屋久島に漂着したのは、最初の企てから10年以上経過した753年のことでした。