スタートアップ超大国 インド~ベンガルールからの現地ブログ~
歴史からひも解くスタートアップ都市ベンガルール後編
さて、前編から引き続き、インドのスタートアップ都市ベンガルールの歴史をひも解いていきます。
前編ではマイソール王国から始まり、Indian Institute of Scienceの設立、1947年独立後の研究機関集積によって「ヒト・モノ・カネ」が集まりやすい状態になってきたことに触れました。この後編ではより現代に話を進めて、どのようにしてベンガルールがスタートアップ都市として発展してきたか紹介します。
1.始まりのテキサス=インスツルメンツ
欧米諸国によるベンガルールへの研究開発拠点設立を遡ると、1985年のテキサス=インスツルメンツ進出がその先鞭とみることができます。テキサス=インスツルメンツのレポートにも以下のように明記されています。
Texas Instruments (TI) recognized the value of India for global research and development (R&D) as early as in 1985. Initially attracted by the country's engineering talent, TI established an R&D center in Bangalore, the first global technology company to set up such a facility in the country. In the last three decades, the India center has emerged as key R&D site. Today, TI is recognized in India for its talent and innovation, as well as for sowing the seeds of technology in the country.
テキサス=インスツルメンツといえば、アメリカ合衆国を代表する半導体メーカーで、インドのベンガルールにわざわざ来たということは、エンジニア人材も豊富で研究機関もそろっていたベンガルールに魅力を感じたということの証左だと言えます。
2.90年代におけるベンガルールでのIT経済特区の設立
80年代後半から、インド中央政府によってソフトウェア部門が重点産業として見なされ、優遇措置によってソフトウェアサービスの輸出とパソコン機器の輸入が促進されていきました。80年代中頃までは「オンサイト・サービス」ということで、インド人エンジニアが渡米して客先常駐のスタイルでサービスを提供する形態が主でした。
90年代に入ると、「The Software Technology Parks (STP)スキーム」が導入されます。このSTPはソフトウェア開発拠点を誘致するためのスキームであり、免税措置・必要なインフラ(高速回線、共有施設等)・ソフトウェアのインド国外向け輸出の促進(関税免除)といった効果があります。
これにより、オフショア開発拠点としての機能がSTPに付与され、ある種、ソフトウェアに特化した工業団地が建設されることになるので、90年代に発動された、「インド市場開放政策」と相まってインド系や外資企業が開発拠点の進出を加速させたのでした。
STPIは現在60拠点(インド情報産業省データより)が存在し、インドのソフトウェア産業の成長を支えているのです。
Software Technology Park Scheme
Software Technology Parks of India Under Ministry of Electronics and Information Technology
The Software Technology Park (STP) Scheme is a 100 percent Export Oriented Scheme for the development and export of computer software, including export of professional services using communication links or physical media.This scheme is unique in its nature as it focuses on one product / sector, i.e. computer software. The scheme integrates the government concept of 100 percent Export Oriented Units (EOU) and Export Processing Zones (EPZ) and the concept of Science Parks / Technology Parks, as operating elsewhere in the world
(スタートアップインディアより引用)
3.Y2K問題によるオフショア拠点としてのベンガルール確立
このオフショア拠点設立の流れを更に後押ししたのが、ソフトウェア産業における2000年問題(Y2K)です。
このY2K問題はコンピュータが1900年と2000年を区別できなくなるのではないかというものでした。1960年代にソフトウェアエンジニアがコンピュータのプログラミングを始めたとき、ストレージとメモリは希少だったので、エンジニア達は日付の下2桁を使って年を表現していました。つまり、2000年と1900年はシステム上では両方とも00として表現されることになり、混乱を招くと想定されていたのです。
この問題に対処するために、アメリカ合衆国ではエンジニアが枯渇しそうになったので、インドへ外注してオフショア開発をさらに加速させることとなったのです。このため、アメリカレベルのサービス基準に合わせるためにインフォシスやTCS(Tata Consultancy Service)のような多くのインド企業がIT分野での基盤を強化しました。ベンガルールを筆頭としてハイデラバード等のような多くのIT都市は、世界中にサービスをアウトソーシングすることでITのハブとして開花したのです。
更に付記すると、アメリカ合衆国とインドの時差は約12時間あり、アメリカの終業タイミングでインドに開発案件を任せれば、休むことなく開発を進めることが出来るという訳です。
(ITオフィスの例、ベンガルールにて筆者2017年に撮影。)
4.インドのシリコンバレーとしてのベンガルール成立
さて、そもそも軍事都市としての素養があり、科学技術系の人材を集めることが可能で、研究機関と教育機関も揃っていたベンガルールに更にオフショア拠点としてのIT要素が付加されたことによって、イノベーション都市としての傾向を強めていくようになりました。
形成に至るサイクルとしては、以下のように考察できます。
【人材の集積】
■研究機関や政府系機関、インド系大手企業へ就職する科学技術系の学生が集まる。
■オフショア拠点に就職するソフトウェアエンジニア学生が集まる。
■結果、多様な人材プールが形成される。
【産業の集積】
■オフショア拠点が多く集積され、欧米系の企業が進出。
■デジタル分野(ソフトウェア)と科学技術分野(ハードウェア)でのコラボが生まれ、オフショアから研究開発へ昇華。
■ベンガルールにR&Dセンターが形成されていく。
R&Dセンター(開発含む)の例:GE, Google, Amazon, Facebook, Microsoft, Apple, サムスン, ボッシュ, Nokia, DELL等
【スタートアップの勃興】
■上記プロセスを経て欧米系企業に対してサービスを提案したいスタートアップが集まる。
■欧米系やインド系企業もスタートアップへ門戸を開きイノベーションを加速させるために、CVC(スタートアップ投資部隊)、アクセラレーションプログラムを組成。
■VCも調査・投資部隊をベンガルールに投入してトレンド把握に努める。
(ビフォワコロナでのスタートアップイベントの写真、関係各者の参加で大盛況、筆者が2019年に撮影。)
やや歴史の話が長くなってしまいましたが、ベンガルールがどのようにしてスタートアップ都市として成立してきたか、整理できました。
これからもっと個社ベースの話やエコシステムのプレイヤー動向、そしてウィズコロナでどう変化が生じたか現地でのリアルな経験に即してレポートしていきます!
著者プロフィール
- 永田賢
Sagri Bengaluru Private Limited, Chief Strategy Officer。 大学卒業後、保険会社、人材系ベンチャー、実家の介護事業とキャリアを重ね、2017年7月に、海外でのタフなキャリアパスを求めてYusen Logistics India Pvt. Ltdのベンガルール支店に現地採用社員として着任。 現地での日系企業営業の傍ら、ベンガルールを中心としたスタートアップに魅せられ独自にネットワークを構築。2019年4月から日系アグリテックのSAgri株式会社インド法人立ち上げに参画、2度目のベンガルール赴任中。
Linkedin: https://www.linkedin.com/in/satoshi-nagata-42177948/