World Voice

シアトル発 マインドフルネス・ライフ

長野弘子|アメリカ

シアトルでも日本人女性が暴行を受け重傷、衝撃を受ける日本人コミュニティ

3月3日付けの地方テレビ局「KIRO7」(https://www.kiro7.com)  シアトルで日本人女性が襲われ重傷を負ったというニュースは、日本人コミュニティに大きな衝撃を与えた。

 ショッキングなニュースが、シアトルの日本人コミュニティを襲った。シアトルの「中華街-インターナショナル・ディストリクト」で、日本人女性が見知らぬ男にいきなり襲われ重傷を負ったのだ。3月3日付けの地方テレビ局「KIRO7」の報道によると、シアトル東部の公立高校の日本語教師である日本人女性、那須紀子さんが、2月25日の夜、パートナーの男性と道を歩いていたところ、何の前触れもなくいきなり見知らぬ男に襲われ、石の入った靴下で顔面を強打された。

 那須さんの話によると、彼女は気を失って倒れたあと、出血による呼吸困難で意識を回復したものの、意識は朦朧として何度も気絶しそうになった。病院に搬送され、鼻や頬など広範囲にわたり複数箇所を骨折、歯も破折、頬や口、目の周りも黒く腫れ上がるほどの傷を負ったそうだ。

ヘイトクライムに震撼する日本人コミュニティ

 シアトルの地方テレビ局「KOMONEWS」の報道によると、シアトル警察はショーン・ジェレミー・ホルディップ(Sean Jeremy Holdip/41歳男性)を容疑者として逮捕したとしている。那須さんと一緒にいたパートナーの証言では、ホルディップ容疑者は彼女に狙いを定め、物凄い力で殴りつけ、容疑者を引き止めようとした彼自身も頭部を強打され、8針を縫う怪我を負った。「頭蓋骨が割れた」と思ったほど強い力で殴打され、レストランにいた人が気づいて助けに来てくれなかったら、おそらく2人とも殺されていただろうと証言している。

 那須さんは当初、この卑劣で悪質な暴行とヘイトクライム(憎悪犯罪)とを結びつけて考えてはいなかったものの、防犯カメラに映っていた事件の一部始終を見たあと、「これはヘイトクライムだと確信した」という。容疑者が、近くにいた恋人をわざわざ避けて、彼女をターゲットにして襲いかかったからだ。

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防犯カメラに映った暴行の映像(KOMONEWS

 ホルディップ容疑者は以前ニューヨーク市に住んでいて、ニューヨーク市消防局の救急医療技術者として働いていたが、同僚をホウキの柄で脅したり、医療補助員スタッフにナイフを突きつけたりといった暴行・脅迫容疑、上司へのあからさまな反抗的態度などから2014年に解雇されている。同容疑者の、怒りを爆発させたら制御できないという性格上の危険性は当時から指摘されていた。

 2019年に発表された合衆国量刑委員会の調査によると、暴力犯罪の加害者が再び犯罪を犯す確率は、非暴力犯罪の再犯率の39.8%と比べると25%近くも高い63.8%にのぼると報告されている。

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暴力犯罪と非暴力犯罪の加害者の再犯率比較図(合衆国量刑委員会調査11ページ)

 同容疑者も以前に暴行事件を起こしており、今回はさらに悪質な事件を起こした再犯者ということになる。解雇後は、ニューヨークとカリフォルニアを行ったり来たりしていたとのことで、シアトルに住んでいたという記録はない。何らかの介入もしくは治療プログラムなどを受けていたら、シアトルまで来てこうした悪質な犯罪を犯して日本人が被害者になることもなかったのでは、と思うとやりきれない気持ちでいっぱいになる。

コロナ禍で悪化の一途をたどるアジア人差別

 被害を受けた那須さんは、言葉では決して言い表せないほど辛かったことと思う。体の痛みに加えて、悲しみや怒り、恐怖などの深刻な精神的苦痛、信頼していた世界が音を立てて崩れてしまうような強い不信感など、想像を絶するものがあるだろう。1日も早い回復をお祈りすると同時に、リベラルな考え方を持つ人や親日家の多いシアトルですら、こうしたヘイトクライムの犠牲者になるのだという現状に戦慄を覚える。より保守的で閉鎖的な州では、状況はもっと悲惨なことになっており、日本人を含めたアジア人はさらに肩身の狭い思いをしていると思うと心苦しくなる。

 これまでは、アジア系市民に対する偏見や嫌がらせの話を聞いたりニュースを見たりしても、不安はあったがこれほど強い危機感を感じることはなかった。しかし、反アジア的な感情が日を追うごとに強くなってくるのを肌感覚で感じる今、自分がヘイトクライムの標的にいつされてもおかしくはないという恐怖がひたひたと押し寄せてくる。那須さんに起こった事は、私たちの誰にも起こりうることなのだ。

 ワシントン州のジェイ・インスリー州知事は、この凶悪事件に対して非難声明を出し、「ワシントン州は、すべての人が受け入れられ安全だと感じられる場所。人々を暖かく迎え入れる州であり、憎悪と差別には100%の不寛容を貫いています。我々すべては、ワシントン州および国全体で増え続けているアジア系市民に対するヘイトクライムと暴力を非難すべきであり、絶対に容認すべきではありません」と訴えている。

 こうした声明はありがたいが、アジア系市民が感じている「次は自分かもしれない」という恐怖心は、具体策なき声明だけではけっして消えることはないだろう。

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インスリー・ワシントン州知事のFacebookに掲載されたヘイトクライムに対する非難声明
大勢の住民がヘイトクライムに対する怒りのコメントを残している。

 アメリカでのアジア系市民に対するヘイトクライムは、コロナ禍が始まってからのこの一年で急増した。カリフォルニア州立大学サンバナディーノ校「憎悪・過激思想研究センター」の調査によると、全米の主要な都市で2020年に起こったヘイトクライムは全体では前年比で7%減少したものの、アジア系市民に対するヘイトクライムの件数は前年比で2.5倍に跳ね上がったとのこと。とくにアジア人の人口の多いニューヨーク、ロスアンジェルス、ボストンを中心に多くの被害が報告されている。

 アジア系の人権団体「ストップ・AAPI・ヘイト」では、昨年3月19日~今年2月28日の間に約3,800件のヘイトクライムの報告がなされたとしている。「ウィルスは国へ帰れ!」、「犬を食べるから(自分の犬が)怖がっている」、「中国ウィルス、地獄に堕ちろ」、「売春婦」などの差別発言や暴言を吐かれたり、見知らぬ人だけではなく、近所の知り合いや職場の人たち、学校のクラスメートから差別されたり、目の前まで近づかれて咳をされたり、施設でサービスを拒否されたり無視されたりなど、さまざまな事件が報告されている。

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アジア系の人権団体「ストップ・AAPI・ヘイト」
差別体験やヘイトクライムの被害に遭った人は、日本語でも書きこめる。

より悪質化するアジア人へのヘイトクライム

 アジア人に対するヘイトクライムは今年に入り、さらに悪質化して件数も増えている。カリフォルニア州だけでも、サンフランシスコで84歳のタイ系男性が散歩中に男に体当たりされて転倒後に死亡、サンノゼで64歳のベトナム系女性が暴行を受け強盗に遭い、オークランドの中華街では、91歳の男性と60歳の男性、55歳の女性が男に襲われ転倒し負傷するという事件が起こっている。同中華街では、今年に入り、アジア系市民に対するこうした身体的な暴力や強盗が20件以上報告されている

 日系アメリカ人や日本関連施設への攻撃も起こり、2月25日には、ロサンゼルスにある日本の寺院、東本願寺別院が放火の被害に遭うという悲しいニュースが流れた。白人と見られる男が柵を乗り越えて寺院に侵入、灯籠を倒したり石を投げ込み放火した。警察はヘイトクライムの疑いで捜査をしている。

LAタイムス紙記者の撮影した東本願寺別院の被害の様子。
ヘイトクライムの標的にされるのは、日本人もほかのアジア人も区別はない。

 毎日のようにアジア人に対するヘイトクライムや暴力事件が報道されており、私の周りの多くのアジア人も不安を募らせている。ただでさえコロナ禍で外出や経済活動が制限され、多くの人が深刻なストレスを抱えている。そのなかで、所得や社会的地位も高い、いわゆる「優等生のモデル移民」とされるアジア系市民に対して、もともとあったやっかみや差別感情が増幅されているのも要因のひとつかもしれない。

 また、トランプ前大統領のアジア人差別発言が人々の差別意識を増長したと考える人も多い。前大統領は、新型コロナウイルス感染症について、カンフーとインフルエンザを組み合わせて「カンフル」と呼ぶことを提案したり、「武漢ウイルス」や「中国インフルエンザ」という言葉も頻繁に使った。こうした言葉は差別用語ではないと弁明していたが、実際に、学校や職場で「ウィルスは近寄るな」、「中国へ帰れ」など暴言を吐かれて、不登校になったり職場に行きづらくなった人たちが、日本人も含め大勢いるのだ。

 アメリカの建国以来いまだに根強く続いている白人優越主義的な考えが、「自由と平等」という建前の皮を破ってむき出しになり、その標的の最たるものがアジア人になっている状態だと言える。日本人のなかには、アジア人を一括りにまとめて差別してほしくないと思っている人がいるかもしれないが、それぞれの文化の違いを尊重できないからこそ、そうした人はヘイトクライムを起こすのであって、アジア人である我々はすべて同じに扱われると思ったほうがいいだろう。

 この件に関しては、以前の記事「『悪意の正常性』とは何か?」にも書いたので興味のある人は読んでほしい。トランプ前大統領が犯人だと責めるより、差別的発言を公の場で叫ぶ人物を国のトップにまでのし上げた、1人1人の心に根深く巣食っている有色人種への差別的感情が問題なのだ。

 さらに、アジア人に対するヘイトクライムの男女比は大きく隔たっていて、女性は男性より2.5倍もターゲットになっている。前回の記事でも書いた「インターセクショナリティ (交差性:Intersectionality)」が作用し、アジア人であり女性であることで、言葉の壁や性的な偏見などさらに複数の要素が組み合わさり、差別や憎悪のターゲットになりやすい不利な状況に置かれているのだ。

マイノリティの人権が軽視されるアメリカの刑罰

 シアトルを含むキング郡の検察庁では、2020年にヘイトクライムとして起訴された件数は、2019年の39件から大幅に増加して59件となった。また、今年に入りすでに7件を起訴しており、そのうちの2件はアジア系および太平洋諸島系アメリカ人に関するものだそうだ。

 今回の事件も、当然ヘイトクライムとして起訴されるだろうとほとんどの人が思っていた。ところが、驚いたことに、検察側はヘイトクライムとしては立件しないとのこと。その理由は、容疑者が何も言わなかったからだそうだ。被害者である那須さんのフェイスブックによると、以下の状況からヘイトクライムであることは明確であると考えられる。

・容疑者は中華街に住んでおらず、わざわざ武器を持ってアジア人の多い中華街に来たこと。

・非アジア人のパートナーの方が近くにいたにもかかわらず、彼を避けて那須さんを襲ったこと。

・那須さんが倒れたあと、物や財布を奪ったりすることなく、ただ立ち去ろうとしたこと。

・パートナーが叫んで止めようとしたため、パートナーを襲ったこと。

 状況を見ればヘイトクライムだと十分にわかりそうだが、容疑者が差別的な発言を言わなかったためヘイトクライムで起訴することはなく、2件の第2級暴行罪で起訴するそうだ。第2級暴行罪の刑期は12ヶ月から10年までの間であり、裁判の成り行き次第では12ヶ月という短期間で保釈される可能性もある。

 さらに、那須さんが検察庁から得た情報によると、ヘイトクライムをもし立証できたにしても、ヘイトクライム自体大した処罰はないので第2級暴行罪の方がいいとのこと。「両方立証されても、2つの刑期を同時に服役することができるので、結局刑務所にいる時間は変わらない」のだそうだ。

 「つまりヘイトクライムという罪自体が、大した罪じゃないんです。それだけ被害者になりやすいマイノリティの人権が軽視されているということだと思います」

 ヘイトクライムの統計に関しても、FBIの公式発表と推定値がかなりかけ離れていて実態をつかむのが難しい状況にある。ワシントンポスト紙によると、FBIは2013年に全米で起こったヘイトクライムは5,928件と発表しているが、法務省統計局はこれは著しく低い数値と主張。米国司法省が行なった包括的調査によると、2003~2011年の間に毎年平均26万人2004~2015年の間に毎年平均25万人がヘイトクライムの被害に遭ったと推定している。

分断を超えて団結へ 〜 動き出す日本人コミュニティ

 那須さんは、「事件後、様々な方々からメッセージを頂き、いかにアジア人に対するヘイトクライムが多いか、そしてそれが全く報道されていないことに驚かされました」と語る。彼女は、いまだに頭痛、めまい、視覚過敏、認知機能の低下などに苦しんでいる。現段階ではまだはっきりしたことが言えないが、外傷性脳損傷の障害が残る可能性も否定できないとのこと。

 現在、那須さんやご家族は、これ以上犠牲者を出さないためにも、ヘイトクライムへの認識や問題意識を高め、ヘイトクライムをもっと厳しく罰するようキング郡の検察庁に求めている。また、日本人を含めたアジア系市民の多い地域のパトロールを強化するよう、警察にも求めていくよう日系人団体やコミュニティとも話し合っている段階だ。事件の厳罰化を求めるメールのテンプレートも有志の方が作ったサイトに掲載されている。

 3月13日には、アジア系市民に対するヘイトクライムへの抗議集会がシアトルで行われ、まだ後遺症が残る状態で、那須さんはスピーチを行った。その中で彼女はこう語っている。

私は小さい頃から、礼儀正しく人に親切に、そして謙虚でありなさいと言われて育ちました。不平不満を言うよりも、いまあるものに感謝しなさいという文化で育ちました。

ここにいる多くの人たちも同じ価値観を共有していることと思います。

私は、もう我慢の限界だと言いたい。

私たちはいま、怒るべき時期に来ています。私たちの声を聞くよう要求するべき時期に来ています。

そして、正しいことがなされるよう求めるべき時なのです。

 日本の読者の方々も、海外に家族や友人が住んでいる人は多いだろう。彼らが次の犠牲者にならないために、厳罰化を求めるメールをキング群の検察庁に送るだけでも、積み重なれば大きな力となるだろう。

 一人一人の力は小さくとも、互いに手をつないでいけばいくほど、大勢の人を支える力となる。海外で、日本人としての誇りを持ちながら一生懸命生きている人々の後方支援をしてくれたら、これほど嬉しいことはないと心から思う。

<関連サイト>

厳罰化を求めるメールのテンプレート(3ページ目)

・GoFundMe寄付サイト「イングルモア高校教師の那須紀子さんを支援しよう」

・アジア系の人権団体「ストップ・AAPI・ヘイト」のウェブサイト:差別体験やヘイトクライムの被害に遭った人は、日本語でも書きこめる。

 

Profile

著者プロフィール
長野弘子

米ワシントン州認定メンタルヘルスカウンセラー。NYと東京をベースに、15年間ジャーナリストとして多数の雑誌に記事を寄稿。2011年の東日本大震災をきっかけにシアトルに移住。自然災害や事故などでトラウマを抱える人々をサポートするためノースウェスト大学院でカウンセリング心理学を専攻。現地の大手セラピーエージェンシーで5年間働いたのちに独立し、さまざまな心の問題を抱える人々にセラピーを提供している。悩みを抱えている人、生きづらさを感じている人はお気軽にご相談を。


ウェブサイト:http://www.lifefulcounseling.com

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