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風刺小説の形でパンデミックの時代を記録する初めての新型コロナ小説
この『Our Country Friends』がまず思い出させてくれるのは、パンデミック初期の「得体がしれないものへの不安」と「根拠のない楽観性」が混じった感覚だ。特に、サシャが集めたコロニーには「遠く離れていれば現実感が薄れる」という人間の心理がある。医師のトレーニングを受けたマシャは過剰なほどに神経質に描かれているが、私はマシャそのものだったから笑えない。当時はどの経路で感染するのかはっきりしていなかったから、スーパーから買ってきた食品の表面をすぐに消毒していたし、別の家で暮らしている者はたとえ家族でも家の中には入れなかった。そもそも、他の登場人物はマシャを笑えるほどの情報を持っていなかったのだ。彼らの根拠なき楽観性が後で致命的な結果をもたらすことになるのだが、それも作者の目論見どおりなのだろう。
次に考えさせられるのが、「閉じた世界」での人間心理だ。同じ集団とだけ毎日顔をあわせているので、恋にもおちやすく、嫉妬心も強まるということがある。また、リアルの世界での人との接触が減るので、ネットでの関係が以前よりも濃厚に感じるようになる。たとえば、この小説の登場人物たちは日本のテレビ番組の『テラスハウス』に夢中になっていて感情移入し、ブラック・ライブズ・マター(BLM)運動が全米に広まるきっかけになったジョージ・フロイド殺害にショックを受ける。
「俳優」との恋愛がソーシャルメディアで広まったディーに関してもそうだ。彼女の過去の発言が掘り起こされて人種差別主義者だと叩かれるようになったのもパンデミック時代の大衆心理を反映している。その反動もあってか、ディーは自分以外のグループ・メンバーは移民と人種マイノリティーだが自分より経済的な強者だというニュアンスの発言をしてその場の雰囲気を悪くする。ここに集まった者の半数はアジア系で、トランプ支持者が多いこの町では攻撃される恐れが出ていた(本書では固有名詞を使って説明されていないが、当時はトランプ大統領が新型コロナウイルスを「武漢ウイルス」と呼び、アジア系への暴力が増えていた)。ここにいるアジア系はある意味恵まれた人々だが、別の面では差別の被害者になるマイノリティーなのだ。現在アメリカの階級闘争はとても複雑なのだ。
パンデミックという特別な時代
「ユダヤ系の外国人」ということで自分も差別の対象になるサシャは、外の世界で数多くの人が感染して死亡しているのに自分たちが安全な場所で美味しい食事をしていることに罪悪感を覚える。これも「特権」である。「特権階級」の定義は見る角度によって変わる。ときには肌の色、ときには経済力、現時点で経済力がなくても育った環境や教育によるコネクションにより特権を得ることができる。それと同時に、高等教育を受けて経済力がある特権階級でも、宗教や人種マイノリティーだというだけで差別されたり、生命の危険にさらされたりすることもある。
作者のゲイリー・シュテインガートはロシア生まれのユダヤ系アメリカ人で、コロンビア大学で文章創作を教えている。妻はコリア系アメリカ人の弁護士だ。2010年にベストセラーになった近未来風刺小説『Super Sad True Love Story』では、主人公はロシア生まれのユダヤ系アメリカ人で彼が恋する相手はコリア系だった。今回もロシア生まれのユダヤ系アメリカ人作家が主人公で、コリア系の女性が出てくる。自分の人生で観察したことを描くほうが現実味があるのは確かだが、それ以上に自分の中にある滑稽な要素を笑うのが彼の作風なのだろう。
風刺小説なので「笑い」はあるし、視点が流動的に移り変わる文章は、数々の感情ドラマにスムーズに招きこんでくれる。でも、明るい気持ちになれる小説ではない。気分を変えたい人にはお薦めできないが、この特別な時代を歴史に残す小説として読む価値はある。
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