「山越え」で東京脱出、人の朗らかさに触れてホッとする
◆日本の山から犬が消える?
景信山山頂(727m)には茶屋が数軒あった。その一つに、日本犬系の雑種犬が3頭繋がれていた。日本では犬はもともと多くは猟犬として飼われていたこともあり、日本犬と山との関わりは深い。昨年、現在の純血種としての柴犬の祖犬である石州(せきしゅう)犬『石(いし)』号の故郷・島根県石見(いわみ)地方を訪ねたが、『石』の生家もまた、景信山周辺に見られるような里山の風景の中にあった。
標高がもっと高い山にも、犬を飼っている山小屋やロッジはある。僕が住んでいる蓼科高原の周りでは、車山(1,925m)と入笠山(1,955m)の小屋に犬がいる。かつては、八ヶ岳の山小屋にも立派な犬がいたと聞く。だが、最近は高山植物や雷鳥といった稀少な生物の保護の観点などから、「犬禁止」を謳う山域が増えている。山と共に生きてきた日本の犬がそこから姿を消すのは、我々愛犬家にとっては寂しい状況ではある。
ここでは詳しくは書かないが、僕が以前取材した限りでは、犬が高山の自然環境や野生動物に与える悪影響については、諸説ある。少なくとも、人間が与える影響の方が大きいのは、もはや「ゴミの山」と化しているエベレストの状況を見るまでもなく明らかであろう。それでも、嫌煙権のごとき"嫌犬権"に強い配慮を求められる今の流れは当面変えられまい。景信山の茶屋には代々犬がいるそうだが、今いる犬たちが最後にならないことを、個人的には願う。
◆土の道に文明の足跡を刻む
景信山は東京都と神奈川県の境にあり、そこから陣馬山に至る尾根(奥高尾縦走路)は、まさに都県境上にある。昔で言えば、武蔵の国と相模の国の境というところか。江戸時代の旧甲州街道は少し下った中央自動車道沿いの小仏峠方面の山道になる。ほぼ「歩き旅」しか手段のなかった昔の人の旅路はこんな感じだったんだろうな、と思いを馳せながら尾根道を歩いた。
人がやっとすれ違えるほどの未舗装の登山道であっても、そこに道があるというだけで画期的である。僕は趣味の渓流釣りで道なき道を進むいわゆる「藪こぎ」をすることが多いが、整備された登山道を歩くのとでは疲労度も安全性も雲泥の差である。「道」ってすごいのだ。
そんな道路整備が、人間文明の自然への進出の一里塚であるのは自明の理だ。実際に、究極の文明の地である東京都心から"コンクリート・ロード"を歩いてきて、この尾根の縦走路を連続して進むと、「人間の領域」の広がりと自然とのせめぎ合いを体感できたような気がした。が、そんな感慨に耽ったのもつかの間、眼前に郊外住宅地の風景の主役だった巨大鉄塔が現れた。現代文明の申し子である「電力」は、標高1,000mに満たないこのあたりの山々を容易に乗り越える。
◆東京と神奈川のせめぎ合い
季節は東京都心で桜が満開になる少し前。途中の明王峠で、僕にとっては今年初の花見となる早咲きの一本桜に出会った。
続く尾根道は相変わらず東京・神奈川の都県境の上だ。山火事防止や環境保全を訴える看板が東京都と神奈川県の両側から立てられていて喧(かまびす)しい。両者で話し合って半分の数にできないものか。
山でさえこの有様なように、日本の街は看板天国である。店や会社の看板から広告看板、そしてこのような官公庁の注意喚起の看板。中国・北朝鮮などの共産主義国家では政治スローガンの看板や横断幕が目立つが、日本の火災防止や交通安全の標語看板も、数が多すぎるとそれに近い「大きなお世話」だと僕は感じる。記者時代の先輩が、ドライバーが歩道橋にかかる交通安全の横断幕の文字を追うせいで、逆に事故が増えたという取材をしていたのを思い出す。「過ぎたるは及ばざるが如し」である。
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