あだ名の禁止で、相手が尊重される?──学校の都合に振り回される子供たち
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<「呼び捨て」禁止と「さん付け」指導は、いじめのリスクを回避したいという学校側の短絡的な判断。しかし、本来は自分が呼ばれたい名前が何であるかを、子供たちも交えて議論すべき>
読売新聞は5月28日、「『あだ名』『呼び捨て』は禁止、小学校で『さん付け』指導が広がる」という興味深い記事を掲載した。
記事によると、一部の小学校が「あだ名」「呼び捨て」を禁止した理由はいじめのリスクを低くすることと、相手を尊重すること。だがこの判断は疑問だ。禁止すれば結果的に、あだ名は悪いと印象付けてしまうと思う。
実際はどうかといえば、「良い」「悪い」はどんなあだ名かによるし、本人が嫌なあだ名もあれば、好きなあだ名もある。悪い例があるから全部を禁止するというのは、議論もせず単純な判断をしているだけだ。
学校で子供にちゃんと教えないといけないのは、考えた上で判断することだと私は思う。「0」と「1」の間の「0.5」や「0.7」について考えることもあるので、その場合はどうするか。難しい判断だが、どの基準が最も良いかを議論した上で決めるべきだ。
禁止したら安心だと学校側は思うかもしれないけれど、子供が混乱してしまう可能性がある。学校以外の場では違う判断もあるし、自分の家であだ名で呼ばれる子もいるだろう。
ちなみにうちの子の学校では、あだ名は禁止されていない。長男によると嫌なあだ名はないそうだ。私が生まれ育ったフランスでは一般的に子供をファーストネームで呼ぶが、子供たちの間ではそれを短くするのが普通だ。
例えば、「エマヌエル」は「マヌ」、「リリアヌ」は「リリー」。割とかわいいあだ名で、本人たちはむしろ喜ぶ。それが禁止されたら、良いとは思わない。
やはりあだ名によって判断するのが、正しいやり方ではないかと思う。本人が嫌がるものなら駄目。侮辱したり、体や名前をバカにしたりするのも駄目。
ケース・バイ・ケースだから、面倒くさいと学校側に抵抗があるのは分かるが、教育の面ではそうしたほうがいい。人生は難しい判断の連続であり、学校でも例外ではない。
しかも子供のときに駄目だと言われたことが、大人になったときにいいと言われるなら教育の意味がない。少なくともちゃんとした説明が必要だ。
一部の大企業ではあだ名を決める習慣もある。例えば、楽天。三木谷浩史会長兼社長も含めて全ての社員にあだ名があると、知り合いの社員が教えてくれた。三木谷会長はミッキーだ。