韓国への同情と嫌悪、中国出身の私が新大久保で見つけた「日本人らしさ」
BirgerNiss-iStock
<直接交流を持てば韓国の人々には親近感を覚えるが、政治になると話は別。繰り返される日韓対立の中、私の気持ちも移り変わってきたが、最近の嫌韓報道を見ていると......>
日本にやって来たのは1987年の春先。埼玉で下宿した1年間とドイツに留学した1年弱を除き、30年間、住まいはずっと東京だ。それが理由かは分からないが、このコラムを書かないかと声が掛かった。
断る理由はない。喜んでその申し出を受けた。が、問題は大事な1回目のネタをどうするか。悩んだ揚げ句、住まいが韓流の聖地である新大久保に近いこともあり、「対韓観」をテーマにしようと決めた。
日本の大学院を修了し、2008年から通訳・翻訳の派遣会社を経営している。その傍ら、取材のコーディネーターやテレビ番組のコメンテーターとして、多くの報道現場に出向き、番組制作にも携わってきた。その中で韓国人や在日コリアンと関わることも少なくない。
直接交流を持ったことがあればお分かりいただけると思うが、文化や生活習慣が似通った韓国の人々には、どこか親近感を覚えるもの。私は中国人だが、日本の皆さんも同じだろう。でも、ひとたび政治的な話となると、話は別だ。
教科書問題や慰安婦問題、徴用工問題と、日韓の間にはとかく衝突や摩擦が起きやすい(日中も同じだけれど)。問題が持ち上がるたび、韓国では政府もメディアも、民間人も批判や抗議を繰り返す。そして日本は謝罪や反論を繰り返す。いつまでたってもこの「やりとり」に変化はない。
判官びいきの私は当初、どちらかといえば韓国に同情的だったが、日本批判と朝三暮四の態度があまりに繰り返されるため、すっかり「被害妄想で約束を破る姑息な国」という印象を持つようになった。
韓国に対してこのような嫌悪感を抱く中国人は、私だけではない。少なからぬ中国人が同様の感情を抱いている。というのも、あの悪名高い「ウリジナル」(そうでないものにも韓国起源説を唱える韓国人を揶揄する造語)に中国も悩まされてきたのだ! 何しろ孔子も諸葛孔明も韓国人で、漢字も漢方薬も韓国人が発明したと言い出す始末。
それはともかく、日中という2つの大国に挟まれ、時に勇み足で理不尽な行動を取ってきたのが韓国だ。それに対し、譲歩をしたり非難を受け入れたりと、大人の対応をしてきたのが日本だった。
ところが数カ月前から、どうも様子が違う。まるで「一億総嫌韓」のような雰囲気が日本全体を覆っている。メディアの一辺倒かつ過剰な嫌韓報道を見ていると、何やら日本が弱い者いじめをしているようで、いたたまれない気持ちにさえなってくる。日本は変わってしまったのだろうか。