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衰退するショッピングモール、再生を模索する欧州
ショッピングモールは都市農業拠点として再生する? モスクワにある世界最大の都市型垂直農園「RusEco」(C)RusEco
<世界各地で衰退しつつあるショッピングモール。ドイツ、ヨーロッパで行われつつあるその再生の試みを紹介する......>
消費の宮殿:その歴史と死
世界の消費文化のシンボルだったショッピングモールが瀕死の状態にある。欧州におけるショッピングモールの首都と評されるベルリンでも、次々と消費の宮殿が閉鎖の一歩手前をさまよっている。パンデミック以前から、大規模モールは時代遅れの象徴だった。モールは本当に死をむかえるのか、それとも変わるのか?
20世紀で最も成功したユダヤ人建築家の一人であるビクター・グルーエンは、1903年にオーストリアのウィーンに生まれ、ナチスの台頭により1938年にアメリカに亡命、後に「アメリカを変えたショッピングモールの父」としてその名を轟かせた。しかし彼は晩年、自ら生み出したショッピングモールを「ろくでなしの計画」だったと自戒した。その理由は、全米で過熱した郊外型ショッピングモール建設が、都市が必要とする図書館や病院といった本来のインフラ投資を停滞させ、結果、都市の中心部の消費環境までを破壊したとグルーエンは回顧している。
グルーエンが思い描いた20世紀の消費の宮殿は、都市の周縁に配置された。それは、ロンドンのハロッズやパリのギャラリー・ラファイエット、そしてベルリンのKaDeWe(カーデーヴェー)などの大型デパートとは異なるアイデアだった。デパートは、複数階建ての中心都市部の大型小売店だったが、ショッピングモールは、クルマで行く郊外にあり、多数の独立した店舗が大きな複合施設に集まっていた。これは、住民を都市から脱出させる郊外化現象を促し、結果、グルーエンは都市の空洞化と破壊をもたらした人物とみなされた。
グルーエンが創造したショッピングモールの時代が本当に終わろうとしている。ソーシャル・ネットワークの台頭、オンライン・ショッピングの飛躍的な増加、低価格や専門小売店へのシフトは、かつて華やかだったモールを廃墟化させつつある。ベルリンには、過剰なほどのあまりに多くのショッピングモールがある。実際、ベルリンほど多くのショッピングモールがある都市は、ドイツどころかヨーロッパ各地にも見当たらない。旧東ドイツ時代、バナナでさえ稀少品だった旧東ベルリン市民の貪欲な消費願望が、この都市を消費のセンターに押し上げていったのかもしれない。
消費主義の転回
2018年、ベルリンのシュプレー川沿い、フリードリヒスハイン地区に時代遅れを絵に書いたような大規模な「イーストサイド・モール」がオープンした。これを評して、多くの地元メディアが「ベルリンの69番目のショッピングセンター」と皮肉を込めて記述したが、同時にベルリン上院は、市全体で73のショッピングモールがあると報告した。
壁の崩壊直後の1990年代初頭、荒れ果てた旧東ベルリン地区に次々とショッピングモールが建設された。当時、東西ベルリンを合わせた購買力でも、多くのモールの経営を満たすことはできないとの懸念が表明された。現在、定常的な小売業の危機とパンデミックが追い打ちとなり、問題はさらに悪化している。
ショッピングモールの3分の1がすでに閉鎖されていると推定される米国のように、モールは今や郊外だけでなく、都市中心部でも死滅する可能性がある。米国の郊外型ショッピングモールで始まったその廃墟化は、ヨーロッパ各地でも顕著な問題となっている。現在、「クルマのための都市化」から「歩行する人々のための都市化」への転回は、世界共通のスローガンだが、クルマでアクセス可能な郊外のショッピングモールだけではなく、都市の中心部でも訪問者数の減少、売上の減少、空室率の上昇に直面している。
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