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反コロナ・デモに揺れるベルリンで、ハンナ・アーレント展が示すもの
「自由の日―パンデミックの終わり」というモットーの下での右翼のデモ。マスクを着けている人は皆無である。2020年8月1日ベルリン。撮影者 Leonhard Lenz. Creative-Commons-Lizenz, CC0 1.0 Universal (CC0 1.0)
<ベルリンで起きた「反コロナ」デモ。多数の一般市民がデモに参加した本当の理由は、陰謀論でも自由の抑圧でもなく、「真実の探求」だった...... >
マスクや社交距離の規則を拒否するデモ参加者の意識
2020年8月1日と29日に、ベルリンで数万人規模の「反コロナ」デモが起きた。これらのデモは、「自由の日―パンデミックの終わり」をモットーに招集され、デモのシンボルは、マスクや社交距離の規則を拒否するという明確な姿勢だった。市内各地で繰り広がられた4万人におよぶ大規模デモの参加者に、マスクを着けた人は見当たらなかった。
大規模集会が規制されている中、8月29日のデモでは、一部の過激な集団が国会議事堂に乱入しようとし、約3,000人の右翼過激派がロシア大使館前で警察と衝突、7人の警察官が負傷し、200人の逮捕者がでた。このデモの背景に一体何が起きているのか? コロナ・ウィルスそのものの存在を疑う者、コロナ規制が過剰に市民の自由を奪っていると主張する者、コロナ規制は政治的な策略であるとする陰謀論者の群れに隠れて、一般市民の本当の姿は見えなくなっている。
コロナ危機を煽り、市民の自由を抑圧しているという政権批判を展開する政治勢力の呼びかけで、8月29日のベルリンのコロナ反対デモには3万8千人の参加者が集った。この日のベルリンの抗議行動には、反ワクチン運動を展開しているロバート・F・ケネディ・ジュニアもいた。同氏は、暗殺されたロバート・F・ケネディの息子で、同じく暗殺されたジョン・F・ケネディ米大統領の甥にあたる人物である。
米国で勢いを増す陰謀論グループ「キューアノン(QAnon)」からの参加者も見かけた。こうした陰謀論グループの主張や一般の家族連れにいたるデモ参加者に共通する問題意識は、「より多くの真実を見つける」ことだった。感染を保護する措置は正しいのか、それともそれらの規制への反乱か?コロナをめぐる誇張と挑発の中で、デモ参加者はどんな真実を見出そうとしたのか。
ハンナ・アーレントを読み解く
反コロナ・デモに揺れるベルリンで、パンデミックの影響から3ヶ月近く閉館されていたドイツ歴史博物館が「ハンナ・アーレントと20世紀」展を開催した。哲学者、作家、政治理論の教授であったハンナ・アーレント(1906-1975)は、全体主義を研究した著作や、ナチス戦争犯罪者のアドルフ・アイヒマンの裁判報告でも知られている。
ハンナ・アーレントは、ドイツに生まれたユダヤ人で、ナチスの台頭によりアメリカに亡命し、反ユダヤ主義、植民地主義、人種差別、ナチスとスターリニズムに関する著述を次々に発表した。時代に立ち向かう知的哲学者が引き起こした論争は数多く、彼女の1963年の著作『エルサレムのアイヒマン』は世界に衝撃を与えた。1961年、アーレントはアメリカの記者として、エルサレムで開かれた元ナチス親衛隊のアドルフ・アイヒマンの裁判を傍聴した。アイヒマンは何百万人ものユダヤ人を強制収容所や絶滅収容所に送った人物だった。
裁判に関するアーレントの記事は、1963年に「ニューヨーカー」誌に掲載され、その後、副題「悪のバナリティ(凡庸さ)に関する報告書」として出版された。彼女はアイヒマンを、「彼の上司の単なる道具として自分自身を様式化した、信念のない官僚」と表現した。
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