「逃げられるうちに逃げろ...」騙されてロシア軍に入隊したインド人、仲間からの「悲痛なメッセージ」の意味とは?
ESCAPING THE RUSSIAN ARMY
留学のはずが軍事基地で訓練
12月22日深夜、サルファラーズとターヒル、ラマールは、カーンの側近2人に連れられてチェンナイ空港に着いた。1人はマイケルというあごひげを生やした男、もう1人は名前を明かさなかった。
彼らは3人に航空券と保険証書を手渡し、観光目的の旅行だと申告するように厳しく命じた。ロシアに到着してから就労ビザに変更されると言われた。
「私たちは何も分かっていなかった。私はただ、ロシアに行くことがうれしかった」と、ターヒルは後日、故郷のグジャラートに戻った後に電話インタビューで語った。
ターヒルは地元で大工をしていた。両親にロシア軍で働くと話すと、行かないでくれと懇願された。「報酬がよくて家族が経済的に安定すると説明して、両親も納得した」
23年の冬、ウクライナ軍の反転攻勢は行き詰まっていた。ロシア軍は反撃を予測して、複雑に入り組んだ塹壕やトンネルを掘り、数千個の地雷を敷設するなど、前線に堅固な防衛線を張り巡らしていた。
ラジャ・パサン(26)はこれらの防衛線の後ろにいた。インド北部の都市チャンディガルの出身で、23年1月2日にロシアに来たと、電話インタビューで語った。モスクワ大学で電子商取引を学び、両国間のビジネスを促進したいと考えていた。