
公園の吹き出しに並んで無料の食べ物を受け取るホームレスや生活貧困者たち
<「ホームレス」という言葉はもともと日本になかった。現代日本のホームレスは、どのような形で変遷してきたのか。在日中国人ジャーナリスト趙海成氏の連載ルポ第25話>
まず、読者からの質問に回答したい。
ある読者は、私のこのシリーズがなぜ荒川河川敷のホームレスを「荒川河畔の『原住民』」と呼んだのかという疑問を抱いている。「原住民」とは、その土地に古くから定住していた人々のことではないだろうかと。
この読者の言うとおりだ。ホームレスは確かに「原住民」ではない。両者には根本的な違いがある。
原住民は、その地域に最初に定住した民族や集団で、自分たちの独自の言語、宗教、習慣、文化的伝統を保持することが多い。これらの特徴は現代のホームレスには備わっていない。
しかし、生活の面から見れば、ホームレスのいくつかの特徴が原住民に似ていると言える。
なぜ私は荒川のホームレスを「原住民」と呼ぶか
荒川河川敷のホームレスを例に取ると、彼らの生き方は原始的で、毎日野宿をしている。
住んでいる「家」はお粗末な小屋だし、時には野生動物が訪ねに来たり、台風や豪雨によって吹き飛ばされることもある。また、彼らの活動範囲は狭く、外との交流も少ない。
こうした特徴が私たちのイメージする、いわゆる昔の「原住民」と似ていると言えないだろうか。
このシリーズに登場した主人公の2人――桂さんと征一郎さん(共に仮名)は、荒川の近くに生まれて、幼い頃から住んでいる。名実ともに「荒川の原住民」だ。
そんなわけで、私はこのシリーズのタイトルを「荒川河畔の『原住民』」と付けたのである。